禅寺小僧

日々の記です。

命がわからない。





映画の「おくりびと」のアカデミー賞はどうなったのだろうか。
研修会で「戒」について座談する。
戒と律は同じようなもののようだが、「律」は罰則規定があり、
「戒」にはない。
仏教徒がまもるべき五戒とは
不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。
の五つなんだけど守るのは、難しそうですな。


「不殺生戒」殺してはいけない。
いただいた命を生かせるように、生きてゆく。
お寺に貼ってあるスローガンみたいなんだけど、近代化して価値観の多様化した
現代ではなかなか通用しにくくなってきている。命が感じられにくく、見えにくい。


子供を火葬場に連れて行かなかったり、臭い便所は水洗で清潔なトイレになり、
不浄を浄に変えたけれど、命の重みや、下で蛆虫が蠢いていたりとかの有象無象が
見えにくくなっている。
さらに小学校の授業でも、カエルやフナがかわいそうだから、解剖しなくなったそうで、
腹を開いても動き続けるカエルの心臓などを最近の子供はしらないらしい。
今は解剖する代わりに図を見て勉強しているのだけどはたしていいことなのだろうか。
少年キャンプのバーベキューでいつもは肉になったのを持って行ってるのを、
今年は生きている鶏を連れていったところ、半数くらいの子供がショックで手を
つけなかった。というのも日本ではいい経験かもしれませんな。








今は価値観の多様化して、あたりまえ、ということがなくなった。
なぜ人を殺してはいけないか、と理由を聞かれる時代で、
哲学をしている学生に聞いてみると、
何故と言われて理由はないですね、私は罰せられ死刑になってもいいです、
という人を止めることはできません。といわれてしまった。
え、。



殺す、盗む、淫ら、嘘、酒薬。
こんなことしてたら、人間も人間関係も壊れてしまいますよ。
生かせませんよ。ということをどう伝えたらいいのだろうか。



あるお寺さんで、荒れた庭園を整備するのに、泊りがけで京都から
植木職人さんに来てもらったときに、高校園芸課の学生さん何人かにも体験で
手伝ってもらうことにした。
畳に坐って御飯を食べたことはなかったのだろうか、初日は学生さんは
立膝をして食べていたが、和尚さんは何も言わなかったそうだ。
朝から日の暮れるまでの仕事を植木職人さんと2、3日するうち、
身体を使う、危険でもあり、しんどい仕事を手伝い、どんどん仕事をしていく
職人さんの手当てが存外安いものであることを聞くうち、何も言わないでも
学生はきちんと正座して御飯を食べるようになったという。


あたりまえの生活を堂々としていけばいいのだけど。