禅寺小僧

日々の記です。

いのちについて





京都市も分別収集で、月曜家庭ごみ、火曜プラ、水曜缶ペット、
木曜もまたまた家庭ゴミとつづくもんだから、さらに小型金属とか
いろいろあるんで毎日ゴミ置き場に詣でているような毎日で、
ある朝、ゴミ袋を、地面に置いたとき、ふと
「あぁ。また、一週間、歳を取ってしまった。。」
という思いが湧いてくる、
無駄に過ごしてしまったような。


エコな地球にやさしい時代であるから、リサイクルに回すために
分別収集になってるわけだけど、江戸の町では参勤交代で、お殿さんに
ついてきた単身赴任者や独身のお侍さんが多かった。だから江戸の町は男が
多い町だったから、女が少ないと何が困るか。


炊事、食べる事は藩屋敷で食べるなり、店で食べれば言い訳で、
洗濯、大きい着物は洗濯屋さんに出すのだけど、困ったのは
下着で、ふんどしの洗濯やなんかは人に頼めない。
そこで発生したのが褌レンタル業で、契約に応じて何日に一回か、
「4と9の日に持ってきて。」とか言っとくと新しい褌を家まで届けてくれる。


その褌がすこし古びてこなれてきたら、業者はそれを集めて、藍染にする。
ちょっと古びたのも綺麗になるから、その布で野良着やモンペを作る。
パンツと違って褌はただの四角い布に紐がついているだけという、
シンプルな構造がレンタルふんどしの第二の人生を後押しします。
野良着は木綿の栽培されていない東北方面に多く移出されたが、
そのおかげか、東北では日本独自のパッチワークである刺し子が発達してゆく。


褌が生まれ変わった野良着が田んぼで使い古され、刺し子で縫っても駄目に
なってくると、また業者が回収して、江戸にもってゆく。
洗濯された野良着は水車かなんかの臼で撞かれて粉々になる。
この時、臼の底に溜まるのが藍の色素で、これを集めて膠で固める。
藍棒といって科学染料が輸入されるまで、これだけがブルー系の染料だった。
浮世絵の広重ブルーも画も友禅も全てそうだったらしい。


木綿の繊維のほうは反古紙と混ぜて漉きかえされて、浅草紙という紙になった。
いずれ紙が便所におとされ、また畑にまかれ、褌レンタルはやっと形がなくなり
一生を終える。







風呂の残り水で洗濯をして、あるいは掃除をして、雑巾をしぼって
みずが使えなくなってしまったのを庭木にかけるようなふうだったんだな。
ゴミを回収して原料のプラスチックや金属にもどして資源の節約をする
現代のリサイクルとは違い、江戸時代の素材を使い倒す知恵なんだけど、
これはこれであったかみや愛情が感じられる。
人の手と木綿が心を通わし、いのちを大切に使っていたような気がする。