禅寺小僧

日々の記です。

釈迦 如来 菩薩 観音 明王





八百万の神というぐらいだから、アジアにはたくさんの神様が
いらっさる。如来ももともとはお釈迦さんだけだったのが、仏教
の発展とともに増えてきて、仏様もたくさんいらっさる。
如来さんなら、釈迦如来阿弥陀如来
菩薩さんなら、観音菩薩地蔵菩薩
明王さんなら、不動明王孔雀明王であったりと、
まあたくさんの仏様がいらっしゃるわけでありますね。


昔、バックパックの本を読んでいたら、アメリカで荒野ウイルダネス
というと砂漠のことであるような気がした。そこに分け入っていって
都市の生活の中で失われかけた、自身の中の野生を取りもどし、
精神を更新するのだ、というようなことだ書かれてあった。


シナイ山に篭ったモーゼは十戒の刻まれた石版を持って降りてきた
けれども、そこは砂漠の中の岩山であったろう。
一神教の父は砂漠で、加曾利隆さんの本だったか、バイクで無風の砂漠に
わけいり、エンジンを止めるとそこには無音の世界が広がっていたとあった。
動くものが何もない世界。砂の地面と天空と自分以外のなにものもを感じない
世界。ここからキリスト教なんかの一神教がはじまった。


聖書の天地創造でも一人の神がこの世界を作るのに一週間しかかからなかった。
(七日目には休まれたのだから実際の作業は6日間なのかもしれないけれど)
砂漠だからこそできた、非常に短時間の天地創造だったんではなかったろうか。