禅寺小僧

日々の記です。

一宿一飯






特急フェリーに乗って、両親の仕事の都合で離れて暮らしていた
友人の実家?に行ったのは高3の春休みやった。
あんまりこの辺は、京都みたいに包丁のウデは無いんやが、
素材がいいから。と分厚い刺身なんかを御馳走になったんでは
なかったか。彼の母はそれから数年して亡くなったが、そのときは
将来なんかあってもこの子に一宿一飯で迎えてやってくださいな。
みたいなことを言われた。
一夜の宿、一膳の飯の、仮住まい。




遠くから旅の人がやって来た。
一宿一飯のお礼に、旅で見聞きした諸国のこと、
面白かったこと、冒険譚、あれやこれや、夜更けまで。
玄奘三蔵河口慧海などの旅をする坊さんもそうしたのだろうか、
そんな大旅行でなくても日本国内でも、僧はそうして旅をつないで
いったのだろう。そうして微にいり、細にいるような旅ができたんでは
ないか。昔の行脚にはそんなところがあったのだろうと思う。




旅して泊めてもらったところは寺や旅館であったが、
和尚さん方と話していてもなかなか専業で坊さんをしている人は
ほとんどいないようだった。
学校の先生、年金を貰いながら、自分で会社を経営しながら、
会社に勤めながら、なんて人がほとんどで、なんか申し訳ない。
奥さんがフルタイムで働いて生活を支えてる人もいる。
「父子家庭みたいなものですよー。」とおっしゃるが、
どなたも皆さん真面目で、立派に寺を護ってらっしゃって、
この人達がしゃべった方がはるかにいいのではと思ってしまう。
なんか申し訳ない。







若い人が来たらみんながっかりするのでは?
と尋ねると、そうでもないですよ。とのこと。
いろんな人に来てもらえたらうれしい、とか
若い人が来てくれたら若手の住職の刺激になります。
などとなぐさめられる。


お世話になりっぱしの旅やった。