禅寺小僧

日々の記です。

アパッチ族

[エコロジー]
金属の盗難が相次いでいる。金メになるのはステンレス、銅、アルミの類
だと思うのだが、鉄まで盗まれているらしく、日本も変わったものだ、と
感慨深いねえ。この間まで廃車の引き取り手がなく、放置(放棄)自動車の
処分に苦慮していたんだが、歩道を広げて車両を置きにくくしたこともあってか、
最近は捨てられる車がなくなった。車検の切れた車体にも素材としての鉄
そのものに値打ちが出てきたおかげで、ゴミにならずにすむ。エコロジー
の叫び声が高くても、モノ余り社会で、モノそのものに値打ちを感じられ
なければ、リサイクルされることなく、ゴミとなって捨てられる。
お金っていうのは不思議なもので、ブツそのものは変わらなくても、
値打ちがかわるだけで、人間の行動も思考も変える。
 
 
環状線に乗って天満橋で降り、南口ですこし時間があったので、周辺を散策
すると、お地蔵さんがあって、終戦前日の爆撃で、列車に直撃弾があり、多数の
死者で構内は地獄絵図そのものであった、と説明書きがあった。
ポツダム宣言の受諾は一週間以前に決定されていたのだから、・・・・
軍閥政治家や天皇の面子意識と優柔不断そのものをさらけだしているといえよう。
無数の父と夫と兄と娘は狂気の馬鹿の虚栄心のためにまったくむだに四散した。」
というくだりを思い出す。
アパッチ族開高健の日本三文オペラで、旧砲兵工廠跡地を舞台にスクラップ
を人力で強奪する泥棒集団が繰り広げる放埓と悲哀の生き生きとした
物語であるのだが、Parts氏同様、現代日本も進むところまで進んでみたら
実は、アパッチ族までもどっていたのか、という感がして、なんやらおかしいね。
小説の中では、旧日本軍のブツを「笑う」のでよけいに生き生きと晴朗だったのが
今のとは少し違うけれど。


アパッチは日本中から集まった、徒手空拳の食い詰め者達が己の手と足と頭で
スクラップを回収強奪して生き延びてゆく、そしてやがては崩壊してゆく物語
だけど、子供心に思ったのは、大人の世界であるなあ。ということだった。
鉄の重量、逞しい筋力、新世界のジャンジャン横丁、スタミナ満点のホルモン焼
、焼酎なんぞにあこがれた。身体を使って一日を生き、その成果のスクラップが、
眼で見え、手で触れ、筋肉で動かせる、のはわかりやすい。生きてるっていう
手ごたえがある。やる尻から成果が見え、感じられる仕事というのが現代では
すくなくなりつつあると思う。そんな仕事がしたかったら寺で草引きするという
手がありますが。自分のした仕事の成果がすぐ、わかります。獲得したブツは
お持ち帰りいただいて結構です。