禅寺小僧

日々の記です。

二等三角点











山のてっぺんあたりに突き立ててある三角点は、明治になってから国の仕事として地図をつくるのに建てられた。陸軍省の仕事だったはずで、三角測量のときに基準にしだんだん測量地点をふやして地図をひろげていった、過去の遺物。でもちゃんと鎮座していらっしゃいます。













現在は緯度経度の測り方を、世界測地系という方法になった。人工衛星からの電波を受信して現在位置を計算す、人工衛星には正確な原子時計が搭載されていて   、こっちが現役。
















データとしてPCに入ってしまえば紙の地図など、古文書か文化遺産。でもかつては重要な国家機密であって、シーボルトが国外追放になった原因のひとつには地図の持ち出し疑惑がからんでたはずだ。ある研究会で笠岡丸や南満洲鉄道、大連の都市計画のことをやったとき、当時は地図っていうのは大事やったんや、っていう話をきいた。正確な光学機器をつかって航空写真を撮って、まず、地図をつくる。そして地図上で計画され、管理がされ、行為は記録され、地図上に保存され、地図そのものも大切に保管された。領土の支配と勢力と所有と帝国主義と国家の匂いと何かの象徴。昔の地図はいかめしいですな。電脳の時代になって、地図は民間企業が作るデータになり、世界中の人が同じシステム、端末を使っている。そのデータはどんな匂いがするんでしょうか。











それにしても。
今は全部潰れてしまったが、京都にも吉田地図専門店や、大黒屋地図店っていう地図専門店があった。店に入っていって店の人に、二万五千分の一京都東北部なんて言うと、奥からこれですねって地形図を持ってきてくれる。これです、っていって包装紙と一緒にクルクル巻いてもらって、家に持ってかえった。地図の紙はナントカ版って(四六版とか菊判とかあったとおもう)いう和紙に刷られてあった。地図の折り方の流儀には二通りほどあった。眺めててもなかなか飽きない。へえぇーこここんなふうになっとるんか、とか発見する。どうでもいいことを。それにしても、何度も引っ越しの機会もあったのに、捨てられない。今では、もう、何の値打ちもないのに。なんか大事なもののような気がして。嗚呼、今でも古い呪縛に囚われてるのだな。








243462