現代世相を見つめて
『悪を行うよりは何もしない方が良い。
悪を行えば後で悔いる。
単に何かを行うよりは、善を行う方が良い。
後で悔いることがない。』
ごくごくあたりまえのことが、仏教の原始経典ダマンパタに書かれています。
釈尊がとかれた善悪とは、
「それを行って後悔することなく、嬉しく、楽しくなるような行為が善い行いである。」
と説き、
「何かをして、あとで後悔し、その結果に涙を流して泣くのは悪い行為である。」
と説いています。
つまり釈尊の教えは、人間の行ないの善悪を、
これをしたら善で、これをするのは悪だ、と規定しているのではなくて、
自分がしたことを自分でどう受けとめるのか、ではかろうとしています。
釈尊は人生の不安、苦の原因は人間の欲望にある、と看破しました。
私たちはいつも「無い物を欲しがり」しかも、それを手に入ると今度は
別のものを手にいれようと「無限の欲望を抱えて」生きています。
生老病死の、逃げ出しようのない、必然を私たちは嫌がって、
繰り返し繰り返し、同じことを悩んでいます。
生まれることによって、老いることによって、病気になることによって、
辛く、しんどく、不便なことが、次々と、手をかえ品をかえ出てくるのを、
苦しみをなくす方法を、と探し回りつづけます。
豊かな社会になりながら、もっと快適にしたい、もっと上等なものが欲しい、
という欲望から「無い物ねだり」を限りなく続けるだけで、
心から満足する、ということがありません。
「自分で楽しく、嬉しくなる行いを善なるものとしておこなえ。」
釈尊のおっしゃる、嬉しく楽しいというのは、
感覚的にキャッツ、キャッツとはしゃぎまわるようなものではなくて、
欲求不満に苦しめられることのない、
心の平安のことを、「嬉しい」「楽しい」と表現しています。
そして心の平安はあなたの行ないが作るのです。