禅寺小僧

日々の記です。

現代世相を見つめて

hekigyokuan2006-10-31

『悪を行うよりは何もしない方が良い。
悪を行えば後で悔いる。
単に何かを行うよりは、善を行う方が良い。
後で悔いることがない。』
                             
ごくごくあたりまえのことが、仏教の原始経典ダマンパタに書かれています。
釈尊がとかれた善悪とは、
                              
「それを行って後悔することなく、嬉しく、楽しくなるような行為が善い行いである。」
                            
と説き、
                 
「何かをして、あとで後悔し、その結果に涙を流して泣くのは悪い行為である。」
                  
と説いています。
                     
つまり釈尊の教えは、人間の行ないの善悪を、
これをしたら善で、これをするのは悪だ、と規定しているのではなくて、
自分がしたことを自分でどう受けとめるのか、ではかろうとしています。
                          
釈尊は人生の不安、苦の原因は人間の欲望にある、と看破しました。
                           
私たちはいつも「無い物を欲しがり」しかも、それを手に入ると今度は
別のものを手にいれようと「無限の欲望を抱えて」生きています。
生老病死の、逃げ出しようのない、必然を私たちは嫌がって、
繰り返し繰り返し、同じことを悩んでいます。
生まれることによって、老いることによって、病気になることによって、
辛く、しんどく、不便なことが、次々と、手をかえ品をかえ出てくるのを、
苦しみをなくす方法を、と探し回りつづけます。
豊かな社会になりながら、もっと快適にしたい、もっと上等なものが欲しい、
という欲望から「無い物ねだり」を限りなく続けるだけで、
心から満足する、ということがありません。
「自分で楽しく、嬉しくなる行いを善なるものとしておこなえ。」
釈尊のおっしゃる、嬉しく楽しいというのは、
感覚的にキャッツ、キャッツとはしゃぎまわるようなものではなくて、
欲求不満に苦しめられることのない、
心の平安のことを、「嬉しい」「楽しい」と表現しています。
そして心の平安はあなたの行ないが作るのです。