禅寺小僧

日々の記です。

100円

白雲木

100円ショップダイソーに行ったらやっぱりあった、あった。それもなかなかの品揃えで天台宗真言宗、浄土宗、浄土真宗曹洞宗臨済宗日蓮宗と宗派別のシリーズ経本と般若心経、観音経、阿弥陀経の独立した経典、それに過去帳が並べられてる。数珠も百円、おまけに不思議な石???も百円だし。安いよ。なんでもあるよ。変な霊感商法で高い数珠やら不思議な石を買うんだったら、そのお金で店ごと買えてしまうかもな、隣には安モンの東南アジアで作った和風雑貨とアサガオかなんかを絡ます園芸ポールが同じ蛍光灯のしたで売られてる。どれもこれも同じ値打ちの100円だからありがたい観音経と長持ちしそうなポールを買うことにする。100円ショップは不思議な店で、なんとなく、入って行くときは肩をいからせて突入し、目当ての品物に直行、といった勢いにあふれていて、欲望の眼はありとあらゆる物をねめまわす。ここにあるものはなんでも100円であなたの手に入れらる、現代日本の幸せ実感空間になっているんじゃないかな。時代の心情にぴったり寄り添っているのは全国津々浦々へあっという間に伝播し、しっかり根付いていることでもわかる。その信者は約一億人でお賽銭は100円玉という繁盛ぶりで毎日お参りの人がたえません。ステンレスのボールが100円で売ってるぞ。「安い!アワセ実感。」買いモンてこういうことなのね。男が狩りで捕ったり、畑で獲ったりしてるのと同じなのかもしれないけど、現代人の夢がいっぱい詰まってる場所だな。先進国になってモノが溢れるとそれまでの宗教心は薄れる傾向にあるのじゃないかと思うのだけどどうだろうか。発展途上国のほうがかえって仏壇が立派だったり、寺社教会にお参りが多かったり、お祭りなどの行事に熱心だったりするんじゃないかな。経済学ではモノには値打ち(経済学では効用という)があって人間がシアワセになるためには効用が最大になるようにモノを生産、分配すればいい。人間は経済的動物であったんではなかったか、ネ。それが現実になった。そんなわけで100円の観音経を手に入れた。マルチン・ルターの宗教改革もグーテンベルグの印刷術がなかったらなしえなかった、と言われてる。それまで聖書は教会の壇上に革表紙の分厚いのが一冊あるだけだったんだ。その聖書が印刷技術のおかげでみんなの手にわたるようなってプロテスタントが発生したのだから、日本全国どこでも100円で観音経が手に入るようになると仏教にも質的変化とかがおとずれるのだろうかね?