禅寺小僧

日々の記です。

山の上で大失態













そのときも急いでいて、かつ焦っていたのか、どえらい失敗をしてしまっ
た。用事をすませて、あとは帰るのみという移動は、義理と仕事と義務を
こなすため。ここまで来て、何もせずに、帰る。昔なら財布から出すこと
のできなかった交通費が、泡と消えゆく。なんとも消化不良の心を抱える
ふがいないもと旅人なんだな。


世間からはヒマそうにみられているけれど、はっきりとした休みのない、
ONとOffの境目がわかりにくい毎日を過ごすなかでも、ちょっとしたチャ
ンスを狙う。ついでにどっか寄り道できないかという作戦で、目標をさだ
めた。博多から太宰府まで足をのばして、そこから宝満山に上ろう。ここ
は仙がい和尚も登られた山で絵に描いたり、詩をつくったりしておられる
のだ。


あっという間に、心の中で計画がひろがった。そうなると現金なもので、
たいして行く気のしなかった出張ががぜん楽しみに、待ち遠しくなって
くる。宝満山はハイキングする人のおおい、メジャーな山みたいだ。と
にかく駅までいけば、地図なんかもあるだろうし、道も完備していて、楽
勝で頂上にたどりつき、降りてこられるスピード登山のはずだった。


西鉄太宰府駅を降りて、天満宮にお参りし、一路、登り口の竃神社を目指
した。春だったとおもう。神社に参って、通り抜け山を登りはじめた。宝
満山は竃神社のウラ手にある山なのだ。きれいに整備された杉木立のなか
の道を優しい春の光を楽しみつつ歩く。山の中に鉄塔があって作業用の道
もある気持ちのいい山。


石段の多い山だときいていたのが、そんなことないなと思いつつ行くと、
いい尾根にでた。ウロになった大木を活かして、空洞のなかに不動明王
ノミで荒々しく彫ってあった。仏師ではなく修験道の行者か刻んだじゃな
いだろうか。蔵王権現だったか白山権現かもしれない、権現というのは菩
薩が人々を救うために日本の紙に姿を変えて現れるのだという。その頂上
のところには愛嶽山山頂と書いてあった。


こんなこともあるんですね。生まれてはじめて、登る山を間違ってしまい
ました。晴れた空の向こうに、ビュウビュー吹く風の先にあるのが宝満山
なんだとおもう。道に迷って、やるせなさで一杯になり、馬鹿さ加減にあ
きれはててたところ向こうから人がやってきた。宝満山から尾根づたいに
きた人はちょっと自身に満ちたカッコいい人だった。この道は行者道とい
うのだと教えてくれた。もう時間がないから宝満山はあきらめて、下山す
ることにした。こんなことでもなかったら一生登ることのない山であった
のだろうが何の因果かこんなことになってしまった。神社までおりると人
があつまって花見をしていた。留学生と日本文化交流みたいなことをして
るみたいだった。コミュニティバスが運行していて、西鉄太宰府駅まで乗
って帰った。行きしには、気がつかなかった。


それから行事のあるお寺に向かい、真面目にしておりました。







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