禅寺小僧

日々の記です。

戦艦大和

hekigyokuan2005-09-09

 気のいい、貧乏でつつましく生きたおんちゃんが亡くなった。山奥にある父の実家からさらに奥にはいったところにあって、たぶん江戸時代の開拓村のようなところであったのではないかと思う。標高が高いから冬は寒く、分厚い氷はちっとも溶けない。水道も運がよければ午後には使えるか、といったところなんだ。そこのおんちゃんは華やかなものはいっさいない農業で一生を過ごした、どこにでもいるような人であったのだけど、一つだけ自慢があって、若いころはエリートだったらしく、戦艦大和の乗組員であった、というのを酔っぱらうと誰かれとなく捕まえては「大和艦はなあ、。」と戦艦大和の自慢をしはじめるので村の人からは通称「大和艦」とよばれていて、肝心の戦艦大和がどんな船であったか、まったく憶えていないけれど、野良着のおんちゃんがビールで真っ赤な顔をして必死に語っている姿はすぐに心に浮かぶ。年々歳々、同じことの繰り返しの村でその姿は少しきわだっていた。そのおんちゃんは少し前に自分史なるものを書き上げた。その内容のほとんどが戦艦大和に関する記述であるのはいうまでもない。その本の出版記念に、(もっとも本といっても書いたものをコピーして綴じたものであったらしいが。)村の人と公民館のようなところで出版記念パーティーまでしたそうで、村の人もコピー本を買ってあげたらしく、「わたしも買ったわサ。」とはおばさんの弁。子供の頃から、この人は大和艦の乗組員であったにもかかわらず、どうして生きているのか、というのが不思議だった。戦艦大和は沈没しているのに。自分史の中には戦艦大和が沈没する前日、「妻、子供のあるものは、艦を降りてもよい。」との命令があったのだそうだ。おんちゃんはその日、大和艦を降りた。次の日に何千人かの乗組員とともに沈められる船を。見送る者と見送られる者と、どんな心中であったのだろうか。
      
 おんちゃんは田舎に帰ってそれから60回、田植えをしたり稲刈りをした。跡取りはもうないだろうとみんなが思っていたが、二人いる孫娘の一人が京都の大学から帰ってくるときに同級生を連れて帰ってきて勤めながらやっているのでおんちゃんも喜んでいるだろう。おんちゃんは故郷の土に戻ってしまった。なにごとも無かったかのようになってしまったが、土のしたで、「万歳!、万歳!」と見送った仲間たちに会えたのだろうか。