禅寺小僧

日々の記です。

死にともない。



大燈国師は遷化のおりに坐禅を組んで亡くなられたんですが、
最後は坐禅を組んだまま亡くなられました。国師は晩年、脚を
傷めておられたが、今まではお前(脚のこと)をきいてきた、
今は俺の言うことを聞けと、曲がらない脚を弟子に命じて
無理に脚を組ませ、坐禅をしたまま亡くなった。


関山国師は井戸の傍に弟子を呼び、最後の教えをたれてから、
そのまま、立ったまま亡くなられた、という。


偉人の最後はドラマに満ちているようで、周りも何か特別ものを
求めがちなのではないだろうか?
何か最後の一言を、という弟子の求めに応じて、仙突さんは、
「死にとうない。」と言ったわけなんだが、当たり前の一言で
弟子はなんだかがっかりしたんだろう。


死に際して、仙突和尚がその境涯をあらわした正式な遺偈では


来時、来る処を知る
去時、去る処を知る
手を懸崖より撒せざれば
雲深くして処を知らず。


来る処、去る処、つまりこの世のことをを知る。
けれども手を崖から放していないので、あの世のことは
雲が深くてどんな処か知らない。
ととあって非常にサバサバした感じで、死ぬのが怖いとかいう
ことではないように思います。それでも弟子にむかって
「死にともない。」と示されたのはこれが現実なんだ、
お前さんの何十年後の姿そのままなんだぞ、と特別なものでない、
人間の死に様をそのまま見せられた。


雪の、この間の日曜日、祖母に会いに行ってきたが、大正5年生まれの
彼女は老人ホームで暮らしていて、寝たきりである。しゃべることも、
できない。ベットに仰向けに寝かしてもらって、口をパクパクしている。
一日中そうして暮らしている。食事は日に二回、管から通してもらっている。
そこにはそんな人たちが沢山いて、いろいろ考えさせられる。


世間で言われている現代の老人のありかたは、
「死ぬまで一生青春です。元気いっぱい、楽しみましょう!」
というようなスローガンじゃないだろうか。
平均寿命が延びて、定年しても何十年を過ごす人が多くなり、
御迎えはなかなか来ず、
「死ぬのも大変よ。」
なんて仰られる方がおられて、こんなに長く生きるとは思わなかった、
と思っておられる。自分のまわりになんでこんな人がいるのだろう、
どんな巡り合わせなんだろうと思うに、人間の生き様を示すためにわざわざ、
眼の前におられるんではないか、と思うわけで、そこから何か学ぶことが
あるからなのではないか、と。


仙突和尚も、今まで何十年もワシに仕えてきて、今更なにをいっとおる。
これが最後の公案だ、今までの何十年を踏まえて、更に一転語を持って
来い。と言っておられたのだろうか。