禅寺小僧

日々の記です。

百年桜





アイヌの祭りにイヨマンテっていうのがあったなあ。
村中みんなでかわいがって、子供の熊を育てて、大きくなったら、
熊送りの儀式をする。熊は神の使いだから、神のもとへ帰す。
神様は人間に熊の肉と毛皮をくださる、って信仰だったろうと、思う。
中にはいってみないとわからないのだろうけど、あんがい、残酷な、
というイメージは少ないのかもしれない。


墓前や仏前に花を供えるけれど、確かに切花も花の命を奪っている。
けれど、人間が死んでも、成仏って言うわけであるし、
熊にしても、花にしても、人間でも、死が絶対悪というわけでも
あるまし、このあたりのことは、単純に一筋縄で決め付けられる
ものでもないような気がしている。


満たされない心を抱え、残りわずかな花を求め、鄙びた村へ分け入ってゆく。
道中、あちらこちらに山桜が咲いているのが見え隠れする。
町にある桜の樹は、幹が腐って皮ばかりになったのや、肌色の悪いのが多いけれど、
ここらにあるのは健康で丈夫そうに見え、たのもしくなってくる。
もうここらあたりまでくると同じ京都市とは思えない、澄んだ空気が漂っている。
農村というより山村といった方がいいような場所なのだけど、田んぼの
面積に比べて、家の数が多いように感じる。昔から農業以外にも何か
産業があったのだろうか。
このあたりには八重の桜に一重の花が混じる木があって、一重と八重だから、
九重桜とよばれている。村の神社の一角にある、百年桜と呼ばれている樹を
ライトアップする、というので見物にゆくのだ。