禅寺小僧

日々の記です。

花の下にて、春











豊かな華やかさがあって、絢爛で、目を魅せられてしまう都会の女子、街
の人通りや公園に佇む、染井吉野、枝垂れ桜、八重桜たちはなんと豪華な
んだろう。御室の仁和寺の前を通ると門前は人であふれていて、そういえ
ば、若いとき和裁縫の仕事をしていたお婆さんが、親方が仕事仲間を連れ
て毎年御室に花見に連れていってもらってた、て言ってたな。仕事のかげ
んもあっていつも御室でしてたって。背の低い花の下では舞子さんや三味
線の地方さんらを引き連れたお大尽もあって、わたしらはまたそれを見に
行ったもんやとも。賑やかに過ごしていたらしい。ここで花見するとはや
く嫁にいける、みたいなことを言っていたような気もする。












人間が作った品種の花は、テレビの中に住んでいる歌手や女優さんと同じだ
と思う。綺麗さ、豪華さ、新しさ、飾りたてた重厚さでは都会の花がいちば
んなんだ。けれどその一方で、美しさという点では山に生えている木々や草
花も負けていない。人の手や欲望の情念でまみれていない、簡素さ、潔さが
みなぎっていて、気持ちいい。儚げでいて、キリッとした力強い美しさがあ
る。美しい原石をひろいあげた人間がさらに手を加えて、人間の考える美し
さを加味していったのが現代の花なんだろう。街の桜は花さえ咲けば、誰が
パチリとしても、簡単にもう桜の写真が撮れている。人間がおもう美しさそ
のままだから。でもゴテゴテした花に疲れたら、山に行ってしばらく身をお
いてみるのがいい。街の桜よりすこし遅れて、山の中にも人知れず山桜が咲く。











京都の街から、すっかり花の終わった鴨川の堤防から東の比叡山を眺めると、
山の中に点々と白く、桜がある。山を登って樹の下まで行ってみると、花のつ
いている枝ははるかに高いところで、樹の下で花見って感じのところはあまり
ない。品種のようにどっさりたわわに花弁があるわけでもなく、その少ない花
びらがチラチラ散ってくるぐらいのもので、それでこの上に花があるんだ、と
わかるぐらい。なかなか手近に見せてくれないから、上を見上げて想像する。
遠目に眺めるくらいでいいのかもな。下でどんちゃん宴会しようって感じでも
ない。景色眺めてお茶でも飲もうか。山頭火は街の桜を詠まなかったらしいけ
ど、詠めなかったんかなともおもう。













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