禅寺小僧

日々の記です。

難しい?むつかしくない。

 1603年というから江戸に幕府が開府された年、
関が原の宿場町の脇本陣だったかにひとりの男の子が
生まれた。長じて家を切り盛りするようになるのだけど、
京都、美濃、江戸、それぞれの寺を行き来していた愚堂禅師
と宿場ということもあってか親しくされ禅師について
修行もされてたんだそうだ。

 元来は真面目な人だったのが、息子に家督をわたして隠居となってから、
急に酒浸りになり、それにつれて遊びも度を過ぎるようになってしまった。

 あるとき愚堂禅師が関が原を訪れ、家のものに隠居さんのことを尋ねると、
「隠居は留守で、毎晩のように出歩いて酒浸りです。」とのこと。
それを聞いてぐ愚堂禅師「酒を一斗と肴を用意してくれ」と言った。
愚堂禅師がテグスネして待ってると、ガラガラッツ、ドーシーン、
案の定グデングデンに酔っつぱらった隠居が帰って来やがった。

 禅師の「付き合え。」と言われるままに夜が白むまで飲みつづけることになった。
朝になって禅師が発たれるのを隠居は見送るといってどこまでも付いてくる。
とうとう江戸まで行って頭を剃って禅師の弟子になったという。
彼が後の至道無難禅師である。