禅寺小僧

日々の記です。

常夏

hekigyokuan2005-07-08

字引で引いてみる。「常夏」 ①いつも夏であること ②ナデシコの古名 ③陰暦六月の別称 なんだそうだ。なんでガラにもなく字引なんぞ引いているのかというと、昔、「ナデシコは好きな花だ」とったら、「常夏だな。」といっていた人がいたから。ナデシコは河原撫子というように今時分になると河原の堤防で草に埋もれて咲いている。茎も華奢だし葉っぱも細く、花びらだって薄らピンクで弱いのだけど、カンカン照りの酷烈な生存競争がおこなれている堤防で、誰に保護されるわけでもないけれど無くならないな。他の草に埋もれてもうアカンかナと思ってもしぶとい。見かけはか弱くて、古人も撫でたくなるような子からナデシコになったのだと想像するけれど、野生の血もしっかり流れているようで頼もしい。けな気に咲いているとヨシヨシと言ってやりたくなる。ビッシリと生えた剛健そのものの雑草の海の中でしっかり今年も命の輪廻を繰り返しているのだから。一人では立ってもいられないぐらいの、か弱い奴なんだけど、隣の草にもたれかかりながらしっかり生きている。弱肉強食の世間の中で生きている。不思議な人だねえ。同じように山にある百合の花の好きで7月2日の画像に登場したけれど、子供のころには草の中で沢山咲いていたのが父の話ではなんと、今はもう絶滅しててしまったらしい。いい花だったのにナ。画像にあるのは人にもらった。花が好きな人で自分の山で今でも大切にしておられるらしい。そこまでしないと百合の花は人に獲られて山からなくなってしまう。放っておけばいつまでもあるんだがな。ナデシコはまだまだ沢山ある。炎天下で生きている。「秋の七草の中に入っていたはずだけど初夏から咲いているのになんで秋の七草なんだろか。」「常夏だな。」ズバ抜けて広範囲な行動力で周りを翻弄していたとんでもない大和撫子だったけれど、知らないことであの人から教えてもらったことも多い。厳しい環境に負けず生きていた、心豊かな人だった。外見とはウラハラな繊細な心で、それでいて信じる道を周りに惑わされずに歩んでいった一人の女性。あの人を知る友人に撫子のイメージをもって語れば笑われるか呆れられるにちがいないけれど、河原で雨に打たれたり風に吹かれたりしているのを見ると、自分の時間を生きようとして必死だった姿が思い浮かぶ。

    




    
   
   
   
  
せ。