禅寺小僧

日々の記です。

横断歩道

禅が日本人の思想、美意識に与えている影響はかりしれませんが、お茶を飲む、という日常の生活の中の行いを洗練し、芸術にまで高め、茶道を大成した千利休もまた禅に参じたひとりでした。彼はそれまでの主流であった、絢爛豪華な書院でおこなう茶道から侘び、寂び、を旨として4畳半の狭い茅屋のような茶室でおこなう現在の茶道が始まりました。

現在にいたるまで脈々と受け継がれ、保たれてきた禅の教えは不立文字、教外別伝といわれ、文字に表すことも、言葉で他人に伝えることもできません。国師はその臨終にあたって弟子達に、どこに向かって禅の教えを求めればいいのかということを遺戒のなかで示しています。禅の教えは立派な寺院伽藍の中や金銀で装飾された経典の中に求めるのでもない。修行者ひとりひとりが、自己を深く掘り下げ、自身を振り返り、自覚し、常に求め続けるなかで自分を深めていく姿勢の中にこそあるのだ、自分自身の内にこそ求めつづけよ、と示しておられます。寺院において諷経するときには他の経典と同じように諷誦する経典ですが、求め続け問い続ける修行僧と導く師匠との厳しいやり取りこそ、口先の言葉や理屈によらない、全身全霊ごまかしのない生きている禅そのものなのです。

禅に参じつつ、音とは何か、と根源的に問いつづけ求め続けてきた彼が、サヌカイトという人間のはからいのない純粋に自然の力によってできた石に没入し、混じりものの無い澄んだ音を奏でるとき、彼の持つ深い精神性が私の心に共鳴して、音を聴きながら自己の深い静寂に耳をすましています。そして内なる沈黙に眼を向けることによって湧き出てくる、清清しさに対面するのです。

世の中に数限りなくある苦悩と困難と不幸が、あなたの心の奥深くにおられる観世音菩薩を自覚されることによって、消えゆくことを祈念いたします。