禅寺小僧

日々の記です。

仏教隆盛

学生さんが何人かいて、朝、6時に起きて、掃除をしたり、
行事の手伝いをしてもらったりしてから、学校に行ってもらってる。
部屋代や水道光熱費はもらっていないし、静かな環境だから、
心機一転、勉学に励みたい人にはうってつけではないか、と
想像するが、実際にはあんまり人気がない。学校の掲示板に
部屋代、朝晩のご飯代はいりません、と書いてもやってくる人は少ない。
居心地よさそうに思うのだけど。。


「最近は苦学生がおらんからな。」という人もいるけれど、
実際にやってくる人は部屋代や食事代がいらないからい、
だけで来るわけでもあるまい。寺に来る人は多かれ少なかれ、
どこか、仏教を求めてやってくるのだろう、と、
希望者だけということで、6時に起きるのを一時間早めて、
「君達、貴重な青春時代にせっかく寺にいるのだから、
掃除だけではつまらんだろう。もちろん掃除や日常生活は
大事な修行であるが、それだけでは物足りないだろう。
昔、面接試験で、学生時代寺で小僧してました。といって
それだけで就職を決めてきた奴がいたが、
ただ寺で寝起きするだけではもったいないゾ。
今年から、5時から坐禅、5時半からお経にする。
希望者は本堂で、みっちり、指導する。」
と宣言したら、こっちも毎朝4時半から体操しなあかんハメになった。


これは別に坊さんが足らんから増やそうなんてことを考えてるわけではない。
なんとなく興味のある人をほったらかしにしとくのがもったいない、
と思うだけなのだ。
実力不足のせいで道を示すことはできないかもしれないが、
種ぐらいは播けないか、と思うんだわ。


禅に興味のある人は何をするか、いまでも鈴木大拙の本を読む。
日本でも、ヨーロッパでも、アメリカでも。
禅が隆盛だったころ、誰が必要として、誰が広めたんだったんだろう。
鈴木大拙西田幾多郎、飯田当隠、大森曹玄、秋月龍眠、山岡鉄舟にしても
なんと、正式の僧侶はいないのだ。居士とか大姉(女性)の在家にありつつ
禅をする人たちが、禅を広めるのに大きな力になったのだった。
和尚さんは彼らを指導しただけだったんではないか??
京都には学校が多いから優秀な学生さんが多い。
その中には仏教に興味のある人も多いだろうから、
和尚さんが彼らにボランティアで、指導したら、、
寺は山ほどあるんだし、そこで仏教の種を身につけた人が、将来、
社会人なり、学者なりになって、在家の生活の中で自分の仏教を
あたためて、そこからまわりの人にも広がっていくんではないだろうか??
それは社会にとっても良いことだろう、と夢想している。
在家に在りながらも居士、大姉といして修行をつづけていけるのが
禅のいいところだ、と思うのだけど。