禅寺小僧

日々の記です。

スランプ

仏像

今朝は座禅会の参加者も多くて、久しぶりに活気があった。
たまには人で溢れているのも悪くない。体操、座禅、お経と
三拍子そろった内容だった。うちの会は厳しさを押し付ける
ようなところは無いだろうから、好きなんだけど、世間では和尚さんといえば厳しい人が多いのだろうか。ここではあまり厳しくならないけれど、まあそれでかまわないと思っている。みなさん、それぞれ社会や学校では厳しい中をいきてらっしゃるんだし、お寺へは気分転換しに来た、でもかまわない。そのかわりしっかり気分転換してもらわなくてはいけないけれど。
 
座禅会の座禅はそれぐらいだけど、座禅も修行僧がやっているのは実はなかなかに厳しい。
ゆったり、静かに、ボーッとできる、なんて生易しいものでは、決してない。言ってもなかなか信じてもらえないけれど、自分をドンドン限界まで追い込んでいく。自分の意思の力を乗り越えるぐらいにまで打ち込ませる。それだから修行になるのだが、中には耐え切れないで逃げるようにして帰って行く人もそれほど珍しいことでもないような環境なのだ。きれいな観光地のようなところでゆったりして、毎日おいしい精進料理を食べてヘルシー生活、見たいなのにあこがれて入ると、結構ことごとく予想を裏切られることになる。これだったらシャバのほうがまだラクだった!なんてことにもなりかねない。そして最後には、ここでやっていることは自分が好きで惚れ込んでいた仏教とは似ても似つかないものだった。知性のカケラもないただの荒くれだ。堕落している。と捨て台詞を残して去ってゆく。ここで終わり、オサラバ。なかなか寂しいことであるなあ。