禅寺小僧

日々の記です。

大燈国師の教え









紫野という地名をみてもわかりますように、昔からこのあたりは田圃にはできなかったようです。鎌倉時代のお寺の古い文書を見ますと、このあたりは、瓜畑が広がっていたそうです。ある日、近所のお百姓さんから、瓜をもらわれた大燈国師はたいそう喜ばれたということです。瓜がお好きだったんですね。夏に採れる、まくわ瓜という甘い瓜です。昔のメロン、っていうかんじでしょうか。


今でも、まくわ瓜がお供えしてあるのを見るとお盆が来たなあと思いますし、畑でも作ったりします。修行の道場にいるときも畑の係りになったとき、畑の隅で作ったんですけど、先輩にあいつらは遊んでる!って怒られましてね。他の人らが畑をしたときより、沢山野菜を収穫していたんですけど、なんでですかね?人間性なんですかね。。。


臨済宗中興の祖といわれる、江戸時代の白隠禅師は大燈国師のこのような肖像画を何枚も描かれています。これはお寺で修行してお悟りをひらかれたあと、鴨川の橋の下のスラム街のようなところで有象無象の群衆の中に混じっての修行をされていたところを描かれたものです。それが尊いのだと白隠禅師はおっしゃっているのです。


こんな話があります。
時の花園天皇は大燈国師が立派な方だと聞いて、なんとか会いたいものだと、手を尽くして探されたけれども、どうしても見つけられなかった。そこで一計を案じて、瓜を配るというお触れを出した。当日、役人がやってきて、瓜を手に持ち、「この瓜が欲しいものは、足を使わずにとりに来い」と言う。なんのこっちゃ、京都ことばで言うたら、なんとイケズな!とみんながガヤガヤしていると、一人が叫んだ。「手を使わずに持ってこい!」それで、あっ、この人が大燈国師だ!とわかったという、ホンとか嘘かわからんような話が伝わっています。






つづき→http://d.hatena.ne.jp/hekigyokuan/20140306







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