禅寺小僧

日々の記です。

今年は花見もようせんかった。









まあ、花が咲いているのを、車窓から眺めるくらいのもんだな。
花見をいちばん沢山して、いちばん楽しんでいたのは若い頃やった。
その頃は北白川に下宿していて、ふつうの家のそれぞれの部屋に学生が入っているようなところだった。敷金礼金が無しで、家賃が安かった。そのあたりの地主のおばあさんがやっていたのだけど、今から思えばボランティアみたいなもんやったんかな、とも思う。今ではその頃の家は取り壊されて、きれいなマンションになった。もう貧乏学生では住めなくなってしまったな。


間借りなので台所なし、水道もなしで、ガスコンロ、トイレ、電話、洗濯機などすべて共同というシンプルさだったけど、部屋の戸をあけると庭があってそこからも出入りできた。庭にはつくばいが置いてあった。このあたりは白川石の産地だからな。路地を抜け出た前に天神湯っていうお風呂屋さんがあったのも、この下宿に決めた理由のひとつだった。もちろん、いちばんはお互い尊敬しつつ仲の良い友達二人がすぐ近所にすんでいたからだったのだけど。















ひょんなことで時間が空いてしまったときには、風呂屋へ行くのもいい。次になんかせんならんことがあって、そこにおらねばならず、2時間くらい時間があいてしまったら。喫茶店に入るのもいいかもしれないけれど、そのコーヒー代をもって風呂屋にゆく。スーパー銭湯じゃなくて、普通の町の風呂屋。天窓から射す、午後のやらかくてあたたかい光を浴びて、空いてる湯船にちゃぷんと浸かってると、役立たずの人間が世間から取り残されたような、このまま消えていってしまうような気がしてきた。熱い湯は苦手だから何度も水風呂にはいって身体を冷やした。時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり、湯に浸かればいい。


天神湯を出ると、裏には比叡山から流れてきた白川がそよいでいる。川の横は細い路があって歩けるようになっていて、立派でも有名でもない桜の木が植わっている。夕暮れの中で見ると、手にとれる近さで眺められる花はどうしてあんなに活き活き、しっとりしていたんだろう。白い花が陽に薄紅に染まってゆれ、花の香りと一緒に、春のふくよかさに包まれていた。両手に抱えきれない支えきれないほどの豊かさ。


いろいろあった天神湯も、もう廃業してしまったらしい。













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