紫式部碑2
紫式部(以下姫という)は越前守藤原為時の娘であります。
生まれつきさとく、かしこくその才能の高いことは早くから
顕著でありました。
(その一例を申し述べると)
姫の兄藤原惟規が読書している時、姫がかたわらにいて
暗誦しましたところ一字も言い落としがありませんでした。
それで、父が姫の背を撫でて
「お前が男でなくて残念である」
と言いました。
(当時は男子は学問を修めて朝廷の高位高官に就くのが
立身出世の道でした。)
父の為時は経史に精通していたので自分の有っている学問を
悉く姫に教え授けました。
姫は年やや長ずるまで、御堂の公家に給侍し、ついで上東門院に仕えました。
やがて左金吾の職にあつた宣孝に嫁いで、二人の女子を生みました。
そして幾らもたたないうちに、宣孝は死去しました。ああー、
姫は操を守ること甚だ固く、独りその娘と共に暮し、読書三昧に明け暮れ、
五経、三史に精通し、仏教、老荘、百家の学問に渉り、
その詞藻はまことに豊かに優れて、泉の湧くように尽きないものでありました。
時はまさに永延の御代であり、この頃は10人の才女がおりました。
紫式部はその中で、最も優れておりました。
(その頃は物語文学が流行しておりましたが)新しい物語を書くように
と内命がありました。それで姫は長編の源氏物語60帖を著して
進呈したのであります。
その源氏物語の内容たるや、外には艶やかな文章がちりばめられ、
その内面には深遠な教義が多く語られています。
その意匠、結構、摛藻、婉麗なることは前古未曾有であります。
実に女性文豪の大小説であります。当時の諸学者の鑚辞を超えた、
いくら賞しても賞し切れない大著でありました。