禅寺小僧

日々の記です。

紫式部碑3




姫は容色優れ、貴族の若者たちは盛んに和歌(恋歌)を送り、
歓心を求めましたが、姫はそれに対し、自分も和歌を作り、
拒み続けました。
そのことわりの和歌は、かどたたぬよう、おだやかであり、
そして操が固く、それになびくことはありませんでした。


その他の事実は源氏物語注釈や、紫式部日記等に詳しく
書かれています。
姫は死去して、域北の雲林院に葬られました。
その塚は今、雲林院の東南数百歩のところに在ります。
但し墳愉のみであります。


今年、寛政七年、尼僧某が、その塚の日に日に荒廃するのを
いたみ、国中の同志に醵金を募って、塚を修復し、この碑を建て、
維龍に銘文を命じました。