精進料理の取材
川の畑のあたりはいま茶摘の真っ最中で、ここいらのは浜茶ってよばれてる。
山の茶園にくらべてクセのない、マイルドなお茶がとれる。
広い、砂の河原のことを浜って呼んでいて、まったくといいほど石のないから
大昔は沼かなんがだったんやろか、なんて想像してる。
しかし、茶の前は浜田っていう田んぼやったそうだ。
水を入れても、入れても抜けていくから茶園にしていったんだ、と老父がいう。
いつの日か、引退したら、ここに井戸を掘り、風車を回して水を揚げ、田んぼを
してみたい、んだが、もち米の陸稲を蒔いてみる。
草引きしてたら、小さい、小さいジバチにやられた。大きい蜂やとわかるんやけど、
ちいさいのはかえってアカンね。首の後ろをやられた。
テレビ局から電話があって、精進料理の取材をしたいという。
「ふだんどんなものを食べておられるんですか。」
「別に変わったことはありません、あるものを、食べてます。」
「こんどテレビで京野菜とかをどんな風に料理して食べておられるかと。」
「いえ、あるものを食べているだけですから、料理というようなものではありません。
裏の藪で竹の子が上がったら、3週間はタケノコ三昧ですわ。今やったらエンド豆ばっかり、
おんなじ食材ばかりが続くから、食べる人が飽きないように、調理を変えますから
精進料理が発達してきたということはあると思います。けれど精進料理屋さんで出される
ようなものを作って食べているのではありません。お寺で精進料理をだされている和尚さんが
おられますから、紹介します。」
って言っといた。
京野菜を精進ではどうやって料理するか、っていう切り口らしかったが、
なんか2つのキーワードをひっつけた、って感じやとおもわへんか?
京野菜なんて意識もないし、精進の調理法っていわれてもわからん。
精進料理の哲学ですか?
あるものを食べるってことですよ。
掃除した落ち葉を畑に持っていって、大根の種の鞘を食べるんですが、
なかなかいけますよ。
ピリッとしてて。