禅寺小僧

日々の記です。

故郷喪失者の故郷









今にも降り出しそうな空の下、人を待つでもなく待たないでもない。そのへんに落ちている枝を集め、何かを料理するでもなく、ただ、なんとなく河原で焚き火してる。














故郷喪失者の故郷、開高健にそんな文があったやろ?ああ、手は故郷である、ってヤツな。。今の時代、帰る故郷ってもとからないんやけど、失業したって元気なくなったって、そこに帰れば住むところ食べていくだけはなんとかなるって場所があると思えると、何かが違うと思うねン。なるほどねえ、ワシらの親爺世代は田舎の農家の何男かで育ち青年になって、故郷の田畑山林家屋敷のある実家の農家から都会に出てきたわけやけど、都会で失敗しても帰ったらなんとかなるっていうのがあったと思うねン。でもその子供の俺らは都会で生まれてるし、帰る故郷なんかもとからあらへんし、もし故郷と呼べるところがあったら、みんなの感じがちょっとは違うんちゃうかなあ。。














なんて話してる。開高健にこんな文が、、なんて言って双方とも同じ文章がちゃんとアタマの中に思い浮かぶのが、なんともですな














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