禅寺小僧

日々の記です。

善悪を超えて











中村元先生の生誕100年にあたるそうで、いろいろな企画が進行中だ
そうです。そのなかの一つのインド哲学カフェにお邪魔してきました。
前半で研究者の方の発表があり、その後に一般の参加者の方らとのフリー
トークをするというものだった。始まる時間に大谷大学に着いてみると、
会場の教室は満員で空いた椅子が見当たらないのだった。
寺でこんなことしてもとてもこんなに人が集まらんなあ、と感心していたら
一番前が空いています、と声をかけていただいた。みなさん本当に勉強熱心
なんだな、頭が下がります。この中で一番勉強していないのは自分かもしれない。




後半のフリートークで今日のテーマについて、それぞれ話していると、突然、
というかんじで、男性の方が立たれて質問をされた。
「哲学的なことじゃなくて、今のことを聞きたい。
日本は原発のこととかで大変なことになっています。
仏教の方がそのことについてどんなふうに考えておられるのか、
聞きたくて、ここまで来たんです。」
とおっしゃった。
座っておられた若い方が、このことは因果論で説明できると思うのです。
私達が電気を使った快適な生活をしたいと望んだからこういうことに
なりました。欲望が大きくなりすぎたからです。これからは欲を小さく
していかねばなりません。とおっしゃった。
もうひとりの研究者の方は善悪を超えて、というようなことをおっしゃった。
仏教哲学、インド哲学を勉強されている方たちはさすがに切れ味がいい。




もし自分に同じ質問をされたら何と答えるだろうかと思った。
ついこないだ、東京であった10万人だか17万人かの集会について熱く語って
いる人に、17万人もの人が集まるのは凄いことやと思う。だけどそれで
何も変わらなかったら、政府は何万人集まっても大丈夫っていう自信をつける
のとちゃうやろか。とコメントしたところ、何も考えてないんですね、と
言われてしまった。そうなのかも知んない。




哲学を勉強したわけでもないから、もし仏教的にどう考えるんですか、
と聞かれたら何と答えればいい?ただ座禅してお経を読んでいるだけの小僧では
たいしたことは言えない。
「道にゴミが散乱してしまったら、かたずけてきれいに掃除するように、
大変困難なことだし、ものすごい時間がかかることだろうけれど、
事故をおこしてしまった原発もみんなで知恵をだしあって、きちんと処理しよう。
汚れてしまったんだったら、きれいにしよう。」
哲学にも政治にも疎い者にはこれくらいのことしか言えない。
何も考えていないんですねって、
また言われると思う。













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