禅寺小僧

日々の記です。

春の雨 ※鹿の死体の写真があります。気持ち悪い人は見ないでください。



前段↓クレソンをたずねて(元気なころ)
http://d.hatena.ne.jp/hekigyokuan/20120322/p1










鹿の雄のリーダーはやっぱりすごいもんだなあ、立派な奴になると人が来てもすぐに逃げない。
ほかの雌たちを先に逃がしておいて、みんなが逃げたのを見届けてから逃げる。自分の身のこと
はあとまわしにしてでも、他の奴を面倒を気にかけているわな。こっちにメンチ切ってくるし、
まあ鹿でも立派な奴になるとたいしたもんだ。すぐ逃げよらへんで。そんな話をしていた。











こんど鹿を捌く講習会があるんですよ。目を輝かせて言う女の子がいた。ほんとにそんなんする
のかいな。血がつくから近所の老ハンターの人は合羽着て動物の解体をするけれども、まあ大
変な仕事で、こんな子が本当にそんなことすんのかいなと思った。小僧さんはするんですか?
と聞かれて、そら出刃包丁があればやってやれんことはないけれど、どこを捨てて、どこを切
り、関節を外して、切り離す、知らんわけではない。鶏を解体すれば誰でもわかる。だけど綺
麗ごとではすまんやろ。言葉で鹿を殺して、解体して、鹿肉を食べましょうというのは
楽しかろうが、実際にするのは大変やろ。渾身の力で棒を振り下ろし、血を飛び散らして
頭蓋骨を木っ端微塵に粉砕し、ブチ殺す。たったそれだけのことができひんかっ
たわ。根性無しや。禅の修行してしばらくしたら、どうしてもコンクリートの上にいる蟻ンコ
を箒で掃いてしまえないときがあった。手で取って外によけた。仏教の修行した
ら優しくなってしまうところがある。毛虫なんかの害虫でも、ちょっとくらいならいててもえ
えじゃないか、って思ってしまう。しゃあないし種蒔いて、大根か菜っぱでも食べてるわ、こ
の手で殺すって、なかなかできひん大変なことやわ。女の子は、講習会には殺すところから入
ってたかなあ、ちょっと斜め上を見ていった。












テレビでも動物番組は大人気になってゴールデンタイムに放映されて老若男女に見られている。
おじいさんにしても女の子にしても、みんな鹿や山の動物の話をするのが好きなんだ。どこの
山で会った、どんなふうに鹿が崖を飛んだ、イノシシのでかいのは人間を恐れてへんで。猪突
猛進というけれど、あいつらが山を下りおりるときは道もなんも関係なく、真っ直ぐに一直線
猛スピードで走り降りよる。自分が見た山の動物の話をするとき、その人の眼はきっと輝いて
いる。ありふれた話題で、たいていもう聞いたことのあるような話ばかりなんだけど、出逢った
山の動物の話をしている人は嬉しくはずんでいる。農作物へのの被害は大変なんだけど。


山の向こうの高尾に用事があり、朝、雨が降っていたんだけど山へ足を伸ばしてみることにし
た。歩いていくのとは反対側からバイクでゆく。谷沿いの道は半分、泥水の流れる川になって
いるのをトコトコと前進する。なんとかコケずに林道へ入ってゆけた。王はもう動かなく、雨
にうたれるままになっている。風はびゅうびゅう音をたてて吹いて、松の樹をゆらしている。










あたりの草は王が絡まった網を外そうと、何度も何度も試み暴れたあとが、あたりの草地はす
り切れて、地面が露出し爪で踏みつけられ泥のようにグズグズになって、軽く死臭が漂っ
ていた。雨が洗い流してくれているせいか鼻につくというほどではなかったけれど。下半身が
動物に喰われて無くなっている。熊か狐か猪か、雨に打たれて足跡は消えている。後ろ足は完
全に喰われて白い大腿骨が見え、胸からしたあたりは背骨もへし折られ肉を喰われて少しはな
れたところに、背骨だけになったのが転がっていた。背骨の腹側のへこんだところには肉の赤
い色が残っている。腸やなんかの内蔵は見あたらない。動物は真っ先に内蔵を食べるというけ
れど。喰われて上半身だけになった身体は、あばら骨も喰い折られてるみたいで長さが段々に
なっている。空洞になった中を覗き込むと、緑灰色の肺が見えた。山の中では解体もクソもな
い。おいしい場所から喰われていた。最後に悲痛の断末魔の声を上げたのか、口は開いたまま
小さい歯を見せている。生きているまま喰われたのだろうか。目玉は抜かれていた。カラスか
鳶にやられたんだろう。昨夜の宴会が散らかるままに散在している。











何匹もの動物に同時に喰われたのかもしれないと思ったけれど、
漢方薬にもなる立派な角は野生動物にはなんの興味もないらしく、
そのまま何の手もつけられていなかった。片方の角の一部が欠けている。網から
のがれようとして暴れているうちに、どこかに打ち付けたか。もう片方も折れたらよかったの
にな。王は自慢のジャンプ力で瞬間的に大きな力を出して網をブチ切ってしまおうとしていた
けれど、その瞬間的な力は網目に吸収されていたのだった。むしろ引っ張って引っ張って、引
っ張れるだけ引っ張ったところから、グイグイさらに瞬間的な力をかけてゆけばいいと思って
いたのだけど。なんとか彼がこの状況から逃げ出せて、もぬけのカラになっていればいい、そ
うなってて欲しい、角だけ外れて残されていたらなおいい、と思って期待してここまで来たけ
れど、眼の前にあるのは動かない、虚ろな目の、上半身だけになってしまった姿。人間も山で
死んだら、自然にいだかれてこんな結末を迎えるのかもしれない。これはこれで自然のあるべ
き姿で、残酷でもなんでもなく、生きるとは当然のようにこういう事なんだ。仏教譚に、自分
の身体を捨てて、飢えた虎に喰わせてやる自己犠牲の尊い譚があるが、山の中ではごくあたり
まえのことだ。だけど人は他の動物に人間の死体を喰い荒らされるのが耐えれなかったから、
地下に埋葬したり、火葬にしたりするのかな。季節に沿うて、自然と一体となっている鹿はも
とより完成していて、人間でいえば悟っているものによけいなことなのかもしれないけれど、
手を合わせて般若心経をあげてやった。風のなか虚ろな目と口と腹に春の雨が注いでいる。











後段↓なれのはて(土になっちゃった)
http://d.hatena.ne.jp/hekigyokuan/20120428/p1






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