禅寺小僧

日々の記です。

旅が終わる日






昨日はいい夜だった。
観音経はダァーッと入ってきて、リズムが生まれ、ギャロップが走り出す
ような感覚があって、湧き上がってきて、消えてまた生まれた。
充実した瞬間になった。
夜は特設テントで村の人みんなとご飯を食べる。村長さんやいろんな偉い
人を紹介してもらった。日本の田舎とおなじような空気が感じられて街よ
りよさげに思った。このへんではワインはとれないらしいわ。牧畜の村だ
った。けど世界中どこででもハズレがあんましないのはチキンじゃなかろ
うか。鶏だけはどこに行ってもおいしいような気がしている。











夜に出ていた月が朝になっても輝いている。
あー、もう帰らんとあかんのやなあ。
ヴィルファヴァールは300席ほどだったのがはいれきれなくなってしまい、
そしたらクッション置きましょか、ということになって、舞台上もお客さんが
円形に取り囲んで、大道芸みたいになった。静かにしていない子供もたくさん
きている。ドミニクの水を入れたステンレスのボールや洗濯機についてるような
パイプを使った音楽とセッションした、ヨシ笈田氏はマラカスの市場で貧しい
ボロボロの身なりをした大道芸人が、神とか真理とか人々に言っているのをかつて
見たらしい。それが今回の一人芝居の原点になっていると言っていた。俗の俗に
いる半分裸のような人が、神がどうだ真理がこうだと、細い棒をもって人々に
説いてまわる。それが印象的だったんだ、と。舞台の袖から見ていると、舞台上、
半裸で歩き回る師は、筋肉隆々だった。70代なんだが物凄かった。












「あなた、どんなふうにお経あげてるの?」
「そうですねえ、天と、地をつなぐようにあげています。天と地を行き来させ
たいんです」
と答えた。旅にでるといつもはできない話をゆっくりできるのがいい。もし
同じメンバーで日本で公演していたとしたら、ただコンサートをするだけで
お互いの深いところの話なんてあんまりしないんじゃないだろうか。
一緒に練習して、設営し、移動して、食事して、泊まる。そんな中でそういう
話をする。
観客を引き込んで、質問し、それに返してゆく、即興の演劇。それとも芸って
いうのだろうか。ライトに照らされている姿を横から見ていると、しゃべるたび
に唾がシブキのように飛んでゆく。
「あれは汚いとかいうんでなくて、キチンとした発声をしたらあんなふうに
なるんや」発声法を教えてもらったことがある人が言った。
一人の身体を張った芸だった。
言葉はわからないけれど、大きな笑い声で揺れていた。どんなふうにウケている
のかは想像もつかなかったけれど、観客はみんなにこやかにしていた。
ほんとうに大道芸みたいで面白かった。


飛行機雲がやけに眼につく。
もう終わった。
あとは帰るだけになった。









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