禅寺小僧

日々の記です。

さいはての海














夏の終わりの日は、晴れて、暑いけれど、どことなく気持ちがよかった。
トンネルを抜けて坂を下りてゆくと、海に行き着く出口に村があった。
瓦屋根を漆喰でとめて、海岸の玉石を積んだだけの垣根に囲まれた家は
懐かしい昭和の漁村のいでたちだった。




















海ははてしなく透明で、底にまで光がさしている。
けれどまわりの家はほとんど空き家になってしまっていて、太陽にさらされている。



















あるじのいなくなった家では、壁を蔦がはいまわり、屋根に木が芽をだし、玄関では
仙人草が咲き乱れていた。
海の鳥を眺めていると、道の反対側の、洗濯物の干してある家からおばちゃんが出てきた。
あんた、どっから来たねー?
ようこんな田舎にきてくれたねー。
いちど、ここへ、来てみたかったんです。
海が綺麗だと、いろいろ話しているうち、
今日の昼の船で帰るんです。というと、
あんた、はよ!泳がんね!とおばちゃんはいった。




















あっちのほうがきれい、とおばちゃんがいったところは、底が玉石で、真水が湧いている
場所で、底から小さい気泡があがってきて、淡水と海水がゆらゆら揺れながら混ざっていた。
8月のおわりだというのに、恐れていたクラゲは一匹もいない。
ああ、もう、ひたすら気持ちいい。
手足をのばして光と水をかきわけてゆくと、身体が浄化されてゆく。
こんな旅行も必要なのだな。
あなたは自然の中を歩いて、山の緑やを見たり、川のせせらぎに耳を傾けたりしないといけない。
お寺に住んでるから場所のエネルギーで、それだけで浄化されるだろうけど、やっぱり自然のなかに
入っていかないといけないわよ。
それと自分が触りたくないと思ったものには、今日は忙しいとか理由をつけて断ってしまいなさい。
といわれたのを思いだした。



















船を降りて、駅にゆき、列車に乗り込む。
暖かいものを食べたくなって、途中下車して都会の店でラーメンを頼んだら、
豚骨スープだったけど、妙な、床をふいてバケツのなかで洗った雑巾ような、
変な臭いがした。
都会の雑踏の中で、口にラードの塊りを押し込まれるような感じがして、
島の風光にはない感覚だった。
人は沢山入っていた店だったんだけど。
終電ちかくの京都に向かう快速列車に乗り換えて、ドアのあたりで立っていると、
ここは人が多すぎる、と思えてきた。
人の異常繁殖。
なんか悪い気が渦巻いているのを感じていてできることなら逃げ出したい気分が
あるのだけど、人間なんにでも慣れられる。都会で暮らしてしばらくしたらそんなことも、
忘れてしまうんだろうな。