禅寺小僧

日々の記です。

風に吹かれて









田舎では青竹の竿のさきにカネのザルを吊るしたのに、松明をいれて
燃やしてた。束にして火をつけて手で持つような松明ではなくて、
山で松の木の切り株が腐ったあとを探すと、固まった樹脂が腐らずに
のこっている。これは樹脂そのものが集まって固まったものだから、
すぐに火が点いて、長持ちし、さらにいい香りがする。
お香もかねてたんではないかな。西瓜を食べて皮は田んぼへ放り投げ
てた。











街の送り火は大掛かりに、みんなでする。
松葉に火をつけるとモクモクゴーゴーを盛大な煙がたって、やがて、
すぐに、無事、炎の塔となった。火が自分で風を起こし、炎を立ててゆく。
六根清浄、六根清浄、厄払い。思いのたけ、燃やしてください。
厄を落として、これから一年無事に送れますように。
火の粉と熱風を浴びながら、形をかえてゆく火を見ている。
真下の京都の町からこちらへ向かって、あっちゃこっちゃから凄い数のカメラの
フラッシュ光がピカピカしてる。











みんなが集まってしゃべったり、写真を撮っているあたりを外れて、笹藪を
漕ぐ。防火帯のふちのあたりまでくると一人、男の人が立っていた。
「懐中電灯もなしに凄いですな。」
「ええ、私はこれでいいんですよ。」
歓声は遠くなくなり、ゴーという街のノイズが下から聞こえてくる、静かな場所。
火が落ちつくまで黙って送り火を眺めていた。
「いいお盆になりました。」「お先にどうぞ、降りてください。」
火床ではもうそろそろ水をかけて消し炭を持ってかえる人は袋に詰めてた。
近所の人とかに頼まれたはるんやろな。



離れていた弟と落ち合って山を降りるとき、真ん中のところでお参りしてきました。
という。なかなかわかっておるではないか。
山を降りたところの酒屋の立ち飲みで紙コップの濁り酒をおごってやる。
自分で畑やってるって大将が、自家製や、と言って茄子、胡瓜、小さい西瓜なんかの
乳酸発酵やという漬物を出してくれた。ちょっと赤い色がついて、酸味があって、
旨かった。
おつかれさん。