禅寺小僧

日々の記です。

保存と修復





命日の前日、まいつき掃除しにいって、命日に御経を
あげにゆくお墓があるんやけど、もうボロボロにに
なりつつあって、御影石でできた墓の台を触ると、
崩れて白砂になって敷き瓦の上に落ちてゆく。


現在進行形で700年の時間が当然のように、
すすんでゆくのだけど、お役人の人たちが来られて
保存のための修復をおこないます。とおっしゃる。
特殊な樹脂を石に吹き付けてこれ以上、崩壊しないように
するらしい。


しかし、どっちがいいのかな、と考えた。
時間にやすりをかけられるようにして石材は細ってゆくけれど、
それも現実そのものなのだから、いけるところまでゆくのも
いいのではないかと。700年間、お経もあげつづけてきたのだしね。


保存のためとはいうけれど、吹付で崩壊が止まっているのも
どうなんだろう。信仰を持つものにとっては、なんだか
自分の顔に樹脂を吹き付けられるような感覚が少しある。
その工事で本当の墓が、何か安っぽい、傷ついたようには
なるまいか。


樹脂で固めるのではなくて、いよいよになったら、
同じ石材で同じものを作れないのだろうか。
昔の技術を研究して、今の人の力で。
勉強にもなるだろうし、技術の継承としても。


今は仕事のない時代なんだし、と思うけれど、
予算というのは、樹脂の吹付け保存事業ならつくけれど、
同じのを作るとなるとまったく付きません、って性格
なんだろうか?