禅寺小僧

日々の記です。

死にともない。2



死にたい人はいないでしょうが、いつまでも生き続けられないので、
いつかは必ず死んでしまいます。
「死ぬならポックリ逝きたい。」
などとおっしゃられるのをよく耳にしますが、なかなかどうして、
生まれるのも、死ぬのも、自分の思いどおりにはいかないことは
よくご存知のことですな。


死には三つある、というのを教えていただいたのは碩学
いらっしゃる順心寺さんでした。


一つめの死は自分の死。
二つ目の死は自分の身の周りの人の死。
三つ目の死は自分からは遠い、いわば他人の死。


禅は己事究明を標榜し、一つめの自分の死には答えてきたが、
二つ目、三つ目の死にはあまり答えてこなかったのではないか、と。


生きている人で、死を経験した人はいないわけで、
臨死体験などが話題になったことはありますが、よくわかりませんわな。)
未経験の不安がある。痛いの、辛いのがかなん。
「痛みを感じずに死にたい。」なんて言いますけど、これは鎮痛剤をつかえば
いいわけで、ある程度解決済みなんではないでしょうか。


そんなわけで、痛いのはなくなっても、身のまわりのひととお別れして、一人で
死んでいかなくてはいけない。みんながいるこの世とお別れしないといけない。
というところがやっぱり辛いのではないでしょうか。