禅寺小僧

日々の記です。

 


明治以前の日本では自然のことを山川草木というように呼んでいました。
外国からネイチャーという言葉が入って来た時に、その訳語が見つからな
かったので、仏教語の中から自然(じねん)をとりだして訳語にあてたのです。
じねんとは、自ずから然る、人間のはからいによらず、もとからある、
ということです。浄土真宗では自然法爾のことを、阿弥陀さまの
おはたらきも春風のようにすべてのものに
はたらきかけ、救わずにはいられない、と説きます。
 

 司馬さんは自然にいばりかえっていた時代は終わってゆくに違いない、とも、
自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある、
と言っておられます。人間の作り出したはからいである科学・技術が人間を飲み
込んでしまってはいけません。人間を磨かねばなりません。自分に厳しく、
相手に優しい自己をです。この二つは別々ではなく、カードの裏表のようなものです。
助け合うことが人間の大きな道徳で、その根底はいたわりの感情です。
自分さえよかったらいい、というカラに閉じこもっていてはいけません。
他人の痛みを感じることができ、助け合っていけるのが、棒と棒が支えあっている、
人なのです。そのように生きてゆこうとするのが我々の修行なのではないでしょうか。


 道場で修行していた頃、箒で掃いていると、コンクリートの上にいる
一匹の蟻が眼に止まりました。不殺生戒でもなんでもなく、自分の気持ちとして、
そのまま箒で掃くことがどうしても出来なかったことを憶えています。
一匹の蟻の命がとても貴重なものに思えました。はからいや価値判断以前の心とは、
本来そういうものなのではないでしょうか。


人間の頭は、すぐに損得勘定をします。自分より権力や財力のあるものに近づいて、
御機嫌をうかがい、自分もいい思いをしたいと思うのが常です。けれど本当に大切な
のは自分より若い人や困っている人に手をさしのべることではないでしょうか。
なんといっても彼らはこれからの人なのですから。慈悲の心でお願いいたします。