禅寺小僧

日々の記です。

釈迦のさとり






12月頃、夜明け前の東の空を眺めると、ひときわ明るい「明けの明星」(金星)が輝いています。若き釈迦は修行者の集まる山林に入って6年間、当時インドの修行者たちが行っていた肉体を痛めつける苦行をつづけました。肉体と精神は別物の反対物で、肉体を苦しめ痛めつけ衰えさせれば衰えるほど、精神は生き生きと活躍しだすと思われていたのです。


しかし釈迦は満足できませんでした。肉体を痛めつけるだけの苦行のむなしさを知りました。彼は自分自身の心の苦しみを解決しようとしていたのです。心の乗り物たる身体を苦しめて力を落としてみても心が解放されることはありませんでした。ガリガリに身体を衰弱させてみたものの、身体は心の反対物ではなく、それだけでは心が良くなるわけではなかったのです。河に入って沐浴をして垢を落とし、村娘のスジャータからもらった乳粥を食べて体力を回復した釈迦は、菩提樹の下に草を敷いて姿勢を正し、坐禅を始めました。心の中の雑念妄想を滅しつくす長い坐禅をつづける釈迦は「明けの明星」を見たとき悟りに至りました。「一切衆生悉く如来智慧徳相を具有す」「なんてこった、そのままじゃないか!すべて生き物はそれぞれやっとる。今までごちゃごちゃアタマでひねくり回して言葉あそびしとったから、よけわからんかったんや、、」とはっきり理解されたのです。






  
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