禅寺小僧

日々の記です。

山を修行する











聖護院は大根(焚いたらおいしい)、カブラ(これは千枚漬けの材料)、
八つ橋(何軒ものお菓子屋さんが作っていて元祖とか本家とかいろいろあ
るらしい)なんかが有名でお寺がどこにあるかご存じない方が多いので
す、と語る20代後半、若くて元気だけど、しっかりと落ち着いていると
ころのある聖護院の和尚さんにいろいろお聞きした。聖護院は東山丸太町
の交差点を東に行って、北に入ったところにある修験道の寺で、修験道
いうのは山伏のことで、大峰山葛城山の霊峰を巡って修行する。


山伏さんのほとんどは僧侶ではなく普通の人で、たいてい家の宗教はべつ
で、真宗だとか禅宗とか浄土宗の檀信徒でありながら、自分が好きで山伏
の修行をしに山へ入る。かつては日本全国に修験道関係の場所が何万とあ
ったらしい。つまりはどんな村にもひとつづつ鎮守の森があって、山伏と
関係していたのが、明治政府によって修験道廃止令がだされてから衰退し
ていったらしい。


山の神の大自然の中での山岳崇拝、厳しい山々で、実行力と宗教的敬虔心
を養う修行っていいじゃないですか。川のせせらぎや風の音がお釈迦さん
の声だと。心身を錬磨して清浄心をみがきだして、仏と我とを一致させ
る。ああ、いいなあ、下界でしか修行していない身にも思えるのだな。


修験道の修行僧さんにお話をうかがってきたんですけど、要するに、山に
登って歩くだけで修行になるのだそうですよ、晴朗でいいじゃないです
か。文字で書いたややこしい論理が教義じゃなくて、自然の音がそのまま
お釈迦さんの教えで、感じとる。って私たちにもわかるじゃないですか。
禅の先輩に言ってみたら、歩くだけといっても歩くのを極めるのは大変な
のだろうなあ。坐るだけといっても坐禅だけでも奥が深いだろ。と言われ
た。なるほど、しっかり修行している人はやっぱり違うな、そんなこと考
えもしなかった。全く。






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