碧玉庵のこと
明治9年まで碧玉庵という寺があった。
時代の動乱期に消滅していったのだけど、都林泉名勝図会という本に
挿絵が載っていたのでここに載せておきます。
九州柳川の武将、立花宗茂が開基となって、当時は広い敷地を有していた
のですが、跡地は現在は高校の野球場とバレーボールコートとなって、当時を
しのぶものはまったく無くなっています。
ここの庭園を作庭したのが藤村庸軒という人です。
庸軒流というお茶の流派をはじめられたかたで、この人のことは昔から
気になっていたのですが、こんど庸軒の詩集を読む勉強会に参加させて
いただくことになりました。感じたことや調べたことなどを記してゆけ
たらと思っています。
碧玉庵 紫式部碑
しられじと 霞に煙らむ 藤の花
中々ふかき 色ぞ見えけり
藁蹊
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