禅寺小僧

日々の記です。

そうだったんだな









この歳になって気がついたことがあった。。
今年は雪の多い年だったけれど、久しぶりに雪山にいって、スキーした。
山といっても麓からゴンドラで上る、車で一時間ほどのただの普通の京
都からいちばん近い手軽なスキー場で滑っただけなのだけど。じつは昔
大好きで、スキー場に働きつつ住んでいたのだったが、歳をかさねるうち
バイトにゆくこともできなくなってしまい、いつのまにか離れてしまう。
かといってべつに離れてしまうことが苦になるということもなく、ただ、
もうあんなふうにすることもあるまいと、なんとなく思って納得して
た。今にして思えば、当時は雪の中で生活してみたかったのだったか。
雪国で雪に囲まれて、冬を、暮らしてみたかった。鼻にツンとくる冬の
匂いが大好きで、あたたかいのよりも涼しい、すこし寒気がするくらい
が好ましかった。若くて、ストイックで、もて余しつつ、求めつづけて
いた。京都から出ていきたかったし、自分の手で、裸一貫から切り拓きた
くてうずうずしていた。自分を受け入れてもらえる場所を見つけて、高
3の冬休みから働いて、いっぱしの季節労働者の気分を心に胸を張って
京都に帰ってきた。雪山にはいい思い出があった。そしてもう終わった
ことと胸の奥に置いてきたんだった。。














スキー場も様変わりしてしまった。北志賀ハイツスキー場というところで
働いたことがあった当時はスノーボードの出始めで、そのスキー場はゲ
レンデが最初からチューブ状に掘り下げてあった。まだボードの人はパラ
パラだったけれど、今にしてみれば凄い先見性があったのだけど、小さい
田舎のスキー場だったのと、たぶんその他のこともあってだろう、結局、
倒産してしまった。












これからはもう昔みたいにスキー場で働くこともできないだろう。
ところがスキーを履いて雪の上に立ってみると、じわじわワクワク
してしまった。一緒に滑った貧乏仲間はどこかへ行ってしまってもう
いなくなったけれど。じつは滑るのが好きだったのだ。上から下へ滑り降り
るだけの単純なことが楽しくてならない。なんて伝えていいのかな。ただ雪
の坂道を滑り落ちるだけの遊びだけど、むかし、造成地なんかの土の坂の上
を段ボールをお尻に敷いて滑り降りるだけで楽しかったでしょ、その感じ
。短く、幅広くスキー板も変わったし、滑りかたも昔は交互操作と
いってスキー板の左右片方ずつ使ってターンしていたのが、いまは両方同時に
するらしいけれど、新しい滑りかたに変える気はもうない。今の板は回りす
ぎてつんのめるようなときがあって気持ち悪くて残念だ。
今の滑りはベタッと始終、雪面に板が張り付いているような感じだけど、
左右にポンポン飛ぶくらいのターンをしたい。
膝から下が勝手に左右に8の字に、親指から踵へ走るような滑りをしたい。
もう出来なくなってしまっていて、そんな感覚があった
ことだけを思いだすだけで、再現できなくて、もどかしいのだけど。
今は何もスポーツをしていないし、それでいてなんとなくスポーツクラブにも
行けない心情の持ち主でもある。
ボードは若い人だけど、スキーはかなり年輩の人がかなり多い。もしか
したらずっとできるかもしれないし。本当は風のない日、オレンジ色の
夕陽につつまれながら下界にむかって誰かとゆったり滑りたいのだけど
天気が悪くてかなわんかった。
来年の楽しみにおいておく。
雪山に行けただけでもいいことだ
った。












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