禅寺小僧

日々の記です。

晴れた日









友達に会いに。
眼鏡の奥に知的な目を光らせる人は田んぼに凝っているらしく、あちこちで田植えを
なさっているらしい。
一つへだてた向こうの谷はこっちの縄張りなんだけど、こんなところまで来ていたとは。
村の人ではなくて、都会に住み、勤めているんだけど、農業に興味あるらしい。
ズブの素人なんだけど実際にあちこちに顔を出し、なんかやるパワーが凄い。
車で友達も何人か連れてきている。











何じゃこれは!
駐車場に行ってみると他府県ナンバーの車がズラッと並んどる!
今日はみんなででイノシシよけの電柵をつくるんだと。
そうなのだよ。ここいらは夜になると動物園みたいなもんで、山から鹿やら
なんやらワンサカ降りてきて、何でも食ってゆく。
玉葱と里芋ぐらいしか、人間の口にはほとんど何も入らない地帯なのだよ。
都会から来た人たちが、みんなで竹薮から竹を切りだしてる。











用事をすまして1時頃に通りがかったら、駐車場の車も、都会から来た
人も跡形もなくなってた。



うわっつ、こんなに大きくなってるー!
なんであそこはガバットと抜けてるのー。誰が植えたん。
(ザリガニの仕業です)
叫び声がいいではありませんか。
しんどい思いして、100万も200万もかけて同じだけの売り上げ
しかないんやったら、最初から米買うときゃ、一年で10万も米食べる
家あらへんで。っていう人もいるけれど、ガソリン焚いて田舎まで来てこんな
ことしてたら、安いお米を作るのに凄い赤字なわけだけど、こんなやり方も
あってもいいではありませんか。


田んぼなんて日本全国どこにもでもあって珍しくもなんともない見向きされない
ものですが、やり方しだいで楽しめるものなのですね。
自分の食べ物を自分の手で採る、作るのはいいものですよ。
支えられている底辺や、人間ってこんなもん(でしかない?)って思うかもしれません。
なんでもその辺にあるもの食べて、生きてゆける、って思うかもしれません。
実感であって哲学にはならないでしょうけれど。


20年か30年したら京都を引き上げて、実家か田舎の寺で案外なんかやってる
かもしれません。コミュニティーまで作る力はありませんが。
とりあえず来年、田んぼと機械と貸してくれる人探してみましょうか。
桜の樹のしたでみんなとお弁当できなかったは、ちょっと残念でした。