禅寺小僧

日々の記です。

今日は何やら疲れる日で。






おんちゃんの遺言みたいなもんを預かってきたっていうんで、読みに行く。
お酒を飲むと朝までしゃべっているような人だったから、一度ゆっくり、
と思っているうちに亡くなってしまったけど、話上手な人だった。
若いころ戦艦大和に乗艦していたというのが生涯唯一の自慢で、酔うと、
「大和艦はなあ。」と言っていたのを思い出す。周りの人はみんな半分馬鹿に
して笑いながら誰も聞いていなかったのも思い出す。
書いたものがあるというので、読みにいったが、まあ薄い冊子だったが沢山作って、
集会所で演説をブチ、出版記念の宴会までしたらしい。
ちいさな村に生まれて、海軍少年航空隊を目指し、呉まで試験を受けにいったけれど、
10万人受けて、毎日1万人落第するという試験で、どうにか補欠合格しただけで
飛行機には乗れなかった。


別の試験を受けて、戦艦扶桑の副砲の砲手やら、別の小さい船に乗っていたらしいが、
だいぶアメリカ軍にやられていたようなことが書いてあった。


戦艦大和に乗艦したときには艦長の訓示で、不沈戦艦大和が沈むときは
日本が滅びるときである。と言われたなどとあり、いかに広々としたいい船で
昼夜の訓練は厳しく握り飯を食べる暇もなかった。などと書きつつ、彼は下士官
主砲の二番砲塔にいたのだが、階級の上下はあるものの、待遇はよく、みんなで、
楽しく、猛訓練に励んでいた。などと書かれている。


驚いたのは、あの小さな村から、三人も大和に乗艦してことで、
一人は高射砲、もう一人は機銃の担当であったらしいが、二人とも戦死
している。


昔、不思議に思っていたのは、どうしてこの人は沈んだ船に乗っていたのに、
生きているのか、ということだったけど、その辺の経緯や、実際の戦闘の模様などは
書かれていなかった。