禅寺小僧

日々の記です。

弱き者


腰痛を体験して中年の入り口に差しかかったような塩梅なんやけど、
良かったことの一つは腰の痛い人の気持ちが少しわかったやろな。
それと、痛みがあると精神力というか、気も萎えてしまうということ。
人間の気概というのも案外弱弱しく、転びやすいものだと思った。


人に迷惑をかけたくないという思いからか、強くありたいと願いつづ
けてきたけれど、弱くて良かった、ということもあるのではないか。
腹への力のかけ方が左によっていた、と気がついたのも痛みを体験した
からでそうでなかったら、気がつかないし、これでいいのだ的にそのまま
だろう。


お経の読み方やら坐禅の仕方を学生に教えているけれど、苦手であるから
できるということもある。なんでかというと子供の頃からやってひとは
できてあたりまえで、できひんというのがわからんらしい。なんでやねん。
となる。できひんで苦労したから、できへん人に教えたりできる、と
いうのもあるんではないか?