禅寺小僧

日々の記です。

発酵

 醸造に目覚めたのは、たしか小学生の頃で、
ミカン箱の中で皮だけカビたのをなんとか、使えないかナ、
と思ったことからはじまる。
カビの生えた皮をむいて、瓶の中で果肉を押しつぶし、
酒粕を加えて酵母をいれた。芳醇なミカン酒が瓶一杯に出来上がる
予定であったけれど、、、、、表面にカビが生えただけで、
とてもじゃないが、飲める代物ではなかった。
どうしようもないものが出来上がってしまったので、
ドブに持っていって、捨てた。
それでも家では細々ながら、毎年漬物を漬けていたし、
田舎のバアちゃんの仕込んだ、粒ののこったままの鹹い味噌を
味噌汁にして毎日飲んでいたわな。。


 道場暮らしになって驚いたのは、漬物なんて漬けたことのない奴が
沢山いたことだった。だからかだろうか、腐らせまいとしてか、
加減も何もあったものではなく、梅干でも沢庵でもゾッとするほど、
塩が入れられていた。鹹かった。
寺に帰ってからは、寺納豆、味噌、漬物なぞを作ってきた。
発酵は有用細菌が増殖してゆく過程で、原料の大豆や米が変化してゆく、
深く、捻りのある味へ、もっていってくれる。だんだん変化してゆくのを
見るのが楽しいし、手前味噌って言葉があるほど、誰もが自分が仕込んだ
ものに愛着を感じている。
どことなく不思議な魅力がある世界なんだ、発酵は。


 去年の年末、おいしく飲んでいた濁酒が無くなった、と聞い時の
心の寂しさ、喪失感。自分で作ろうか、と思い、本屋で参考書を求めると、
どうやら米の酒を自醸することは酒税法違反らしく、その本には
自醸を禁止することは基本的人権の侵害である、、などと難しいことが
書かれていた。
そんな大層なものでもないやろ、と思うのだが。。
昔から寺にある麹室で麹をつくり、味噌を作り続けてきたが、
味噌の原料である、米、大豆、麹、塩、のなかから、大豆を塩を省けば
酒になってしまう。
蒸米と麹を混ぜておいておくと1、2日で甘酒に変化する。
それをそのままおいておくと、濁り酒で、搾れば清酒というぐあい。
味噌も醤油も酒もみんな、麹発酵から始まって、酵母発酵で終わるので
作る過程はほとんど同じようなものだ。
先月、甘酒を仕込み、そのままおいていたら、20日ほどで酵母発酵が
はじまり、今、丁度、一ヶ月だけど、耳を澄ますと、樽の中でぶくぶく
音がする。この後、どうなるかはわからないけれど、
体にいい、ということなら、時代の流れはケミカルなものから、
発酵のようにバイオで体にいいもの、というように変化していくのでは
ないだろうか。味噌とか、漬物、とか酒とか、そんなので体にいいのが
いいんでないの?