禅寺小僧

日々の記です。

ごみ

 京都市のゴミ収集袋が10月からだったか、一袋45円になるそうで、ちょっと戸惑っている。今だったら50袋で300円くらいのが、二千円を超えるとになる。ゴミの排出にもコストがかかるようになって、なんでもどんどん好きなだけ捨てれる、という時代は終りになりつつある。現代の人間ほど大量にゴミを排出しつつ生きている生物はいないだろうし、ゴミやお余りが出る、というのは、どこか生活に無駄な部分があるのだ。ゴミが出るというのは、その人の生活に無駄が多い、ということとほとんど同義語じゃなかろうか、と思うことがある。ところで、お寺の小僧さんならばエコなライフスタイルで生活の無駄は少ないのじゃなかろうかとおもうのけだれど、事実としては全く逆で、お寺から出るゴミの量はちょっとしたもんなんだわ。なかでも圧倒的に多いのが植木の剪定屑で、これは今でも袋に入れていても市のごみ収集では持っていってくれない。毎日の庭掃除の落ち葉にしてもそう。本当は土の上など掃かないでほって置けば、そのうち土になるのだろうが、そうもいかないので裏に運びこんで裏で土にするべく奮闘してるところ。享年までヌカを一緒に入れたりしていたのが、今年はしなかったら、葉っぱのままで腐っていなくて困っているというのはこの間言ったとおり。本当は粉砕機を買って粉砕してしまえばだいぶ効率が上るのだが、買えないな、いっそ、押し切りといって手動で藁などを切り刻む機械を買おうかと、考えたけれど、8000円以上した。昔は田舎で牛にやる藁やなんかを細かく刻んだ機械だ。伯父さんが勢いをつけて押し切りで藁を切っている。子供のころそんな風景があったな。