禅寺小僧

日々の記です。

禅とヨガ

hekigyokuan2006-02-04

 和尚さん、ヨガは流行ってますよ。。といわれる。暗に座禅は流行ってませんね。ということなのでしょうけれど、まあ、しゃあないやろう。というところが実感でもあるな。禅なんてものが流行りすぎても怪しまれるだけだろうし。それでも今度の6月4日には修学旅行生が来るというからボチボチはやってますよ。寺を空けていて下見の先生とは会わずじまいだったけれど、手紙をみると7人から15人来ると書いてある。15人も来はったらうちの本堂には入れんわ、一瞬よぎったけれど、なんとかなるだろうよ。どないにでも。
    
 はじめて、本格的に座禅をはじめたのは、道場に入ってからだったから、少々ならず苦労した。坐禅のポーズ、足の裏を上向けて、脚を組むのは、内側の筋肉がまだ硬いせいもあって、辛かった。一秒を積み上げて一分にし、一分を積み上げて25分の坐禅の終わりの鈴の音になんとかたどり着き、それを一日に積み上げ、さらに一週間にする、という、今考えてもちょっとイヤな気分がよぎるけれど、ウーンといって一秒を堪えることばかりしていた。だたそれだけで、修行どころでなかった。ただただ、座布団の上に坐っているというだけで、内容はありませんでしたね。棒を持った先輩が巡回していて背中を思い切りしばいていったけれど、その時は、動ける、前にかがめるというので、正直、ありがたかった。はた目には楽そうにみえても実際やってみると結構たいへんなこともあるのですよ。
   
 ま、先輩はじっとしとれ!動くな!というばかりで、それしかない。それはもちろん正しいことではあるのだけど、そこにいたる為の方法とかステップとかやり方なんてものは、何もないのだった。これは出来る人にはいいのだろうけど、初心者だとか、出来ない人には取り付く島もない、というか、手掛かりがなにも無いのだった。だから、まったく堪えるだけでなんとか過ごしていたようなもんだった。その道場の先輩に長くヨガをやっていた人がいて、その人によると、坐禅なんてものはヨガを相当やった人の仕上げくらいにするようなもんだよ。とか言っていて、羨ましかった。そこに至る方法がある、というのが。