禅寺小僧

日々の記です。

 きのうは吉田さんに節分参りに行ってきた。人ごみの中で御参りして、河道屋で年越し蕎麦を食べる。きざみ海苔とおろし山葵がのってる。ナントカいうたこ焼き屋で一皿買って、出町の鯛焼きを買って帰る。今年はあったかい。
 
 オーガニックですか?と聞かれる。オーガニックの正確な意味がわからないでいると、無農薬ですか?と尋ねられる。そうです。農薬を散布するのはめんどうだからしてません。売り物じゃないですから。昔とちごて、最近は薬をまかんと野菜はできひん。と父はいうけれど、昔できたんなら、今でもできるんじゃないの、なんて思わんか。何十年の中で何かが変わったのだ、としたら、野菜を見る眼が変わったのじゃないかな。たぶん昔の野菜も虫くいの跡がついていたりして、それでも菜っ葉って、そんなもんだぐらいの認識で食べていたのが、今は許されなくなっているんだ。人間が食べるためだけに生産される清潔なものでないと誰も食べんわな。大地や歴史の恩から眼をそむけて、人間の思いがすべてという思いからくるのか、どうか、根っこが無くなって、ひ弱で不安、安心して死ぬことができないような空気が充満してやしないか。ここの畑は寺の庭の落ち葉の墓場でもあるけど、新しい命の発露するところでもあるな。どうせ寺の畑なんだから管理社会の縮図とするのでなくて、野放図に育ってもらったらそれでいい。そんな菜っ葉をみていると、生きるエネルギーや逞しい勇気を感じるよ。




 




 写真じゃ見えんが蕾ができてる。春はもうそこまで来てるわけか。