禅寺小僧

日々の記です。

美味しい、おいしくないモノ。

 酒を飲むことを覚えたのは、まだ年号を昭和といっていた頃、住み込みで働いていたバイト先でだった。朝4時半ぐらいから夜は遅かったら11時、12時ぐらいまで、眠るのは二段ベッドをギュウギュウに押し込んだプレハブのタコ部屋、厨房、レンタルスキーの調整、フロント、一週間に一度くらい大屋根から落ちてくるツララに繋がった、巨大な氷のカタマリをツルハシで叩き割って、時には吹雪の中、雪の山の上に捨てに行ったり、晴れた日の屋根の雪降ろし、夜のディスコのボーイと何でもやった。豪雪地帯を体で感じていた日々だったけれど、労働条件は非常に悪く、周りの人は、コキ使いやがって。とブツブツ、言ってた。高校生で日当で二千五百エン貰うことになっていたけれど、試しに時給で計算してみると、二百エンそこそこになったので友達と二人、ビックリしてしまった。だから、せめて飯だけは腹一杯、周りの大人が呆れるくらいに食べていた。朝から納豆は一箱、それも今みたいに小さいのでなくて、大きい箱の大粒納豆。関西の人も納豆食べるの?なんていわれてたけど、とにかく、腹一杯食べてたな。原価計算なんかも今ほどうるさくなかったんだろう。それでだか、自動販売機に入れるときにビールを一箱ハネておいてタコ部屋に持って行ったり、倉庫からオールドを運んできたり、時給の安い分をなんとか取り返そうと、現物を胃袋に入れることに励んでいた。だからだか、今でもサッポロビールは贔屓だし、飲む機会はないけれどサントリーオールドの印象は悪くない。若い頃に覚えた物は、なんでもそうなのだろうけど。仕事にしても遊びゴコロでやっていたな、それは今でもそうかもしれんけど。
            
 大学生になって日当も培もらうようになり、春に学校に帰ってくると、一年分の学費は山のお金でどうにかなったけれど、今度は毎月の生活が大変だった。下宿代、生活費、その他諸々、常に一定して財布の中はカラッポか、カラに近かった。大阪南港からバイクで帰り道、ガス欠しそうになのに、120円しかなく、仕方なく、118円のガソリンスタンドで1ℓだけ入れたこともあった。一日払いのバイトに行って、何千エン分かの千円札をもらって、北白川のお地蔵さんからの坂を登る。道の南側、北向きに建った西村酒店があって、あそこの親父には酒のことをアレコレ、いろいろ教えてもらった。その日のバイト代から千円札を二枚出して住吉という山形の、樽酒を買う。確か、千四百円ほどのお気に入りの二級酒だった。友達の下宿のドアを開けて上がり込み、オーイ、酒買ってきたゾーと、叫ぶ。一升瓶を掴んで歩く掌に、今日一日の充実感を握り締めてた、あの頃。