禅寺小僧

日々の記です。

願いごと。

hekigyokuan2005-11-28

 今まで住んでいた人が引っ越して、家を売ったのだけど、新しい持ち主もその町内の人もだれもおまつりしてくれる人がない、というので、寺に持ってこられたことがあった。それまでは町内のお地蔵さんとして小さな祠もあったのだけど、世間の風は、冷たい。まるで厄介者になってしまったのだった。
      
 そうかと思えば、とある寺にには、しあわせ地蔵様がいらして御参りすると、きっと願い事をかなえてくださる、願望と欲望をかなえてくださるところには人が集まるようで交通安全、合格祈願、厄除け祈願、縁結び、縁切り、病気に効く、など願い事の数だけ神仏がいらしてそれぞれ効能を詠って百家争鳴、願い事の多い人も多くて百花繚乱の賑わいであるな。
         
 そういうわけで現代の神仏は御願いごとをする為に御参りするのだけど、もともとは神様というのは荒ぶる神で、人間に災悪をもたらすものだった。疫病、大火、洪水、飢饉、数知れぬ災悪に見舞われてきた人間は、神様お祭りいたしますから、どうかここから出てこないでください。というので鳥居と立てたのだ。参詣の方どんどんいらっしゃい、というので建ててあるのでなくて、鳥居はここから出て行って悪い事をしないで下さい。ということだったのだ。もともとは。天満宮だって今は受験生の冬の風物詩なのだけど、もとは菅原道真のタタリを恐れて、敬い、どうか静かにしていてください。と建立されたのだった。お地蔵さんだって小さいうちに亡くなった子供の為とか、道で行き倒れた人の供養に、と最初はつくられたものかもしれないのだけど、今はそんなことを言っても相手にされない。