禅寺小僧

日々の記です。

罰当たりな、。。

hekigyokuan2005-09-08

 あたったからこうなったのか、関係なくそうなのか、それとももしかしたらバチは当たりつづけているのか、わからないけれど、「近頃はバチがあたる。とかいわんねえ。」とはParts氏のご意見ですな。ほんとに罰ってあたるものなのでしょうか?バチが当たった話は昔の日本霊異記なんかには沢山でてくるけど、バチがあたったことのない人の為に字引でひいてみると「人間がおこした悪事に神仏がいましめるもの。」という説明がでてくる。悪いことをしたら悪いことが起こるよ。というのだけどな。どうも「バチが当たったんや。」というのは何か悪いことが他人の身に降りかかったときに、別の人が「あんなことしたはったしっ、、、」なんて付け加えながら悪口のように、陰口をささやくような響きがあるんだよな。
 
 江戸時代の至道無難禅師の道歌集に「身の咎を己が心に知られては 罪のむくいをいかがのがれん」(自分の間違いを自分の心に知られた以上、その罪の報いから逃れることはできない。)といっているし、中国後漢の楊振という人は誰も見てませんからといって贈賄されそうになったとき「誰もしらなくても、天と地は知っているし、私も贈賄するあなたもことことを知っているではないか。」といったという。天知る、地知る、子知る、我知る。というやつである。

 
つづく





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