禅寺小僧

日々の記です。

クリスタル

hekigyokuan2005-07-04

ガラス製品にバカラのグラスというのがあって、非常に硬質な透明さをもった水晶みたいなのがあるが、これはクリスタルガラスのカタマリから削りだして作るらしい。型で作ったペラペラのそこら辺のガラスのコップとは違った重厚と繊細が同居していて、ちょっと高級なグラスで投げてもなかなかこわれそうにない。その石の音は不純物を感じない磨きぬかれた音だけど、磨いたというより削りだしたようなところがある。その石が世界の中心になってこっちはポッカリと宙に浮かんだような、漂ったような、ものを考えることのない時間。石の中心がこちらの中心に浸透して、カラッポだ。計算づくで作られている楽器で演奏するのでなくて、石の音色にみんなが耳を傾けている。人間が作らないでも、耳を澄ませば、こんな音があった。巷じゃ毎日のように新しいCDが売られて人間に消費されてゆく。自分の気に入った音を買う。CDの中の音には耳を澄ますけれど、自分の身の回りの音には、寺で坐禅なんかして、はじめて、風の音や鳥のさえずりに気づいた、って何人もから聞いた。それで風の音や鳥、虫の奏でる音色にやわらいでいる。表現も個性もちっぽけなのは何もない。静かに、細い息で、ちいさな音に聴き入っていると、はしゃいでいた自分がなぐさめられる。自分にとって一番値打ちのある音はなんだろう。深みを照らしてくれる音は。