禅寺小僧

日々の記です。

耳を澄ませば、

マンダラ

  
茶室でその日出していただいた道具の説明を聞いていた。ちょっと説明しすぎかな、なんて思いながら。。ミュージシャンが演奏するのを隣で聞いていると、デジタル録音や世の中に溢れかえってるCD、どんなに高価なステレオやスピーカーがあったとして、どこまで極めていったとしても、所詮は一種の擬似音なのではないか、という考えが頭の中を覆ってきた。バイオリンならバイオリンだと人間が認識できる音、これはピアノだ、とアタマで感じれるだけの情報としての音なのではあるまいか。どこまでいってもCDのバイオリンの音はバイオリンみたいに聞こえる音でしかないんではないか??










 茶道具の説明を聞いていて、アタマでだけ認識してもどれだけの値打ちがあるんかいな、というおもいがしてくる。説明を聞きすぎるとアタマでだけわかったような気になって、その実、何にもわかっていない。教外別伝、不立文字なんていう難しい言葉があたまをよぎる。以心伝心、見性成仏なんてことも、、専門的すぎるか。