禅寺小僧

日々の記です。

私の名前

hekigyokuan2005-05-16

犬だって名前を呼ばれたら飼い主のところに飛んでいかなくてはいけないけれど、素っ裸で生まれてきたモンに、名前を付けられたときから、親の期待やら、いろいろな責任やら、いっしょに貼りついてきたな。名前を貰ったとたん、何かから切り離されてしまったのかもしれない。一つ得たら、また一つ失う。そんな風にして私は識別されました。国民背番号まで頂戴しているようだし、なんとなく、ヤラナキャならんことが多そうな社会ではありますな、お互い。情報社会というけれど、情報によって管理されてる社会なんだろうなあ。言葉や情報をうまくあつかえる人が頭のイイ人で、デキる人なのだろうなあ。禅宗の教えは言葉にならないし、以心伝心で伝える、のだから、世間一般とはだいぶ違います。
 昔、西暦2000年のこと、河原で出会った人を写真に撮ってたことがあって、写真展もしたんだけど、被写体になってくれた人の一人に「写真ができたら、送らせてもらいますから。」と尋ねたら、「俺、住所ないから。」とアッサリいわれた。ホテルで働いていたコックさんで、そろそろ定年というのを早めに切り上げたらしい。「最近はホテルも冷凍食品をあっためてだすだけだよ。」と嘆いていたけれど、住所とそれにへばりついてたアレコレ、家財道具一式、人間関係、仕事、なんかを捨て去ってというより、放り出して「風になる」のはなかなかカッコよかった。ちょっとうらぶれていて、マシンが原付バイクであったけれど。。。。20年か30年かしたら旅を棲家にすることにしたい。いや、する。以後、これを楽しみに毎日を過ごすことにする。あっちこっち日本中ウロウロしてやる。案外、河の畑の横でクルマを置いて棲んでいるかもしれないけど、どっちにしても、その時にはあなたにも連絡する。住所だけでなくて、ついでに名前も捨てちまったら愉快だろうな。

 「俺、名前ないから。」


なんてね。


せ。