禅寺小僧

日々の記です。

京あんぱん。

京都 日光

何日か前の新聞を見ていたら、京あんぱん、ていうのがでてた。
そんなんあるんやァ。ただのアンパンとどう、ちがうのか、
料理に京がついたり、野菜についたり、呉服についたり、和風のモン
が多いけど、いろんなバリエーションがある。けれど、とうとうあんぱんにまで
ついたか。ウカウカしてたら、京かれーぱんもそのうちでてくるかも、なんて思って
しまう。
    
「京」とつけるのには、和風です。というメッセージや、長い伝統に培われた品質です、
という主張やら、洗練されてそう。という残り香ような期待を抱かされるけれど、その
土台には「京都」という街にたいする”憧れ”が奥底のどこかに潜んでいる。その憧れ
これからの続いてゆくには京というシールだけじゃなくて、それを支える担保をどっかり
入れておかなくてはいけない。誰が見ても感心する菓子や料理も素晴らしいものだけど、
誰もが作る事に参加できるのはやはり、京都人の美意識によって形づくられた町並み
だろう。
    
京都のある寺が平安京を造営したときの基準点の山を守る運動をしていて、新聞やTVでも
取り上げられた。このブログでも何度か取り上げたことがあって、船岡山 マンション
の検索でここへ来られる人もおられるようです。京都市も斜面地の建設にかかわる条例
を制定されるようで、傾斜地といっても京都の街中にはほとんどないから、実質、船岡山
を守るために作られる条例にみえる。新聞、TV、条例どれもこれも、一見、お寺さんが
意見を言ったからとりあげられた、ようにもみえるけれど、どちらかというと寺の意見が
そのまま長い眼でみた京都市民の意見であったから、公共機関にとりあげられたのだろう。
    
世界中から人々の集まる街として、パリがある。何に魅かれるのか、お土産にする
商品そのものにも魅力はあるのだろうけど、まず、街に魅力があるから人が集まる。
京あんぱんが売れるためには、京都に来てもらうためには、どうすればいいのだろう。
船岡山は京都が造られたときの玄武の山、都の守りだった。今では迷信と片付けられて
しまうけれど、「亡国の民よ、神も恐れぬ輩よ。」とどこからか聞こえてくる。
それも魅力だ。  
 

せ。